- 英語を話すのが怖い
- 英語恐怖症を克服するには?
- 完璧な英語が話せさえすれば、、、
こんな思いへのアンサーとして、冷静に客観的事実を見ていけば怖さなんて克服出来るんじゃね?っていうのがテーマです。
英語が怖い理由は自分の英語力の無さからだと思うのですが、根っこの部分には見栄とかいう感情ない?と思ってます。
もちろん見栄なんて感情あるのが普通なんで、見栄そのものは問題じゃないです。
でも、その見栄はるポイントがズレてると、無意味に恐怖と戦うことになってるんじゃね?と思います。
重要なのは、こんなことなんじゃないかと。
- 英語力の良し悪しは誰も気にしていない
- みんな完璧ではない
- 話の中身がカッコいいかどうか
ちゃんと冷静に周囲を見渡せば、英語を話すことが怖いなんて幻想だよねって腑に落ちると思います。
英語を話すのが怖い???
私自身、怖いなぁ、、、と思っていた時期がありました。
でも、本当に「英語」が怖かったのか?って話です。
英語が攻撃してくるわけないじゃん、と当時の私に確認を取りたいところです。
実際のところは、周囲に出来ない奴と思われたくない恐怖心というか羞恥心というか、とどのつまり自分を大きく見せたい見栄が働いていただけのことだったなーと思います。
しかも、自分を大きく見せようと出来ないことを出来るかの如く振る舞うので、盛大に失敗することが多々あります。
こうなると本格的に英語を話すのが怖くなります。
実際にやらかした中でも、イチオシな(?)実例を一つ紹介します。
とある国で給与振込用の現地の口座が必要になりました。
当然、英語での申し込みです。
銀行の担当者に英語が話せないと思われたくない…と事前にネイティブっぽい発音とフレーズを付け焼き刃で練習しました。
結果、ただでさえ下手な英語がより一層理解不能なものに変貌を遂げ、担当者が3人変わりましたとさ、、、
出来もしねーことやって、本格的に英語を話すのが怖くなったトラウマ話です。
若気の至りと言えばそれまでですけど、本気出してないだけ、ホントはもっと出来るみたいなコンプレックス持ってたんでしょうね。
見栄が恐怖心の原因というのは私だけではないと思います。
通じなかったら恥ずかしいな、何度も同じやり取りをするのは相手に悪いし、過去に相手をイライラさせたことがあるから、などなど、英語を話すのが怖い人は、こんな感じ考えているケースが多いと思います。
出来ない自分を見せたくなかったり、同じ失敗するカッコ悪い自分だったり、根っこの部分まで掘り進めると自分を大きく見せたい見栄に行き着くのかなと思ってます。
厄介なことなのは、見栄という感情は普通誰しもが持っていて、当たり前の感情ということです。
見栄張ることをやめれば恐怖心がなくなりそうじゃんとは思うのですが、時として見栄とか承認欲求というのは行動の原動力にもなります。見栄という感情があるから自分を磨こうとする行動にも繋がるので、ある意味成長には不可欠な感情でもあります。
ということで、見栄とか承認欲求というものを完全に消し去ることは、大抵の人には出来ないことだと思います。少なくとも私には無理だと断言できます笑
この前提が正しいとすると、英語を話すことが怖くないと感じるようになるには、ネイティブと対等に話せる完璧なレベルの英語を身につけることが必要になってしまいます。
ネイティブ並みの完璧な英語力を求める
当たり前の話ですが英語を話すことが怖いと思っている中で、そんな完璧な英語力を求めるのはほぼ無理です。
英語に限らず、言語、特に会話は多様な人との会話で洗練されていきます。
学校で覚えようとしても、学校の人やシチュエーションの範囲でしか経験値を積めません。普段の人付き合いからの経験もなければ様々な状況に対応出来るだけの力は身につかないです。
根本的な問題として、英語を話すことが怖いので、率先して経験値を積む機会を得ることがなかなか出来ません。
この状況下で、自分の見栄や承認欲求を満たせるだけの英語力を得ることは現実的ではないのかなと思います。
関連記事:仕事の為ならビジネス英語から始める。日常英会話は遠回り(っていうか難しい)。
であれば、みんな根性で乗り切っている?
英語を母国語としない人で、完璧な英語を話せる人はどの位いるのでしょうか。調べても具体的な数字は見つけられませんでしたが、少なくとも私の周囲では、堂々と話すことが出来るけど完璧ってわけじゃないよって人の方が圧倒的に多いです。
もし、これまでの私の前提が正しいと仮定するのなら、私の周囲には英語を話すことに恐怖心を持ちながらも根性で会話を推し進めている人が、それなりにいたことになります。
もちろん、現実はそんなことありません。英語を話すことに恐怖心を持ってはいませんでした。
ここまで来て、ようやく私は周囲の人を冷静に観察してみるという手段に思い至ります。恥ずかしい話、完全に自分自分の考え方しかしていなかったので気付きもしていませんでした、、、
冷静に周囲を見て気付いたこと
ようやく周囲から学べば良いという考えに至ったわけですが、そこには気付きが沢山でした。
根本的に自分がズレてたという気付きです。
まずは、英語力という観点からの気付きです。
ケース1 とても陽気なエストニア人の友人
如何なる時も “Went” を使います。昨日のこと、今日のこと、いつでもです。
代わりに “Yesterday” とか “Today” とかを明確にしてました。
自信満々で会話のキャッチボールしてる奴だったので、余裕がなかった頃は全く気付けてなかったのですが、めちゃくちゃテキトーです。
ケース2 冷静沈着なフランス人の友人
単語の頭の “H” は発音しませんでした。フランス語では発音しないらしいですね。
なので、"happy"を言うときは「アッピー」に、"have"を言うときは「アヴ」みたいな感じになります。
彼はフランス語訛りを気にする素振りは全くありませんでした。
そして、会話の中身という点の気付きがありました。
第一に彼らとの会話は相手が誰でも弾んでいました。彼らの言うことがネイティブにとっても分かりづらい時は、理解出来るまで質問し、続きを引き出そうとします。
お互いの考えや、相手への配慮、時にはバカ話でも彼らの話には、とても惹きつけられる部分が多かったです。
話の内容に惹きつけられるものがあれば、相手もどうにかして理解しようとしてくれます。英語のレベルなんて二の次です。
私は、その時まで気付いていなかったのですが、英語は所詮は手段でしかありません。
自分が出来る奴と思われたいのであれば、話の中身こそがしっかりしていないと意味ないなということに気づきました。
見栄張りたいなら、自分の中身を鍛えておけということです。中身がきちっと詰まっていれば英語の上手い下手なんて誰も気にしてないです。
日本語訛りの英語を気にするなんて自意識過剰もいいとこです。
事実、インド人はインド訛りの英語、中国人なら中国訛りの英語、ネイティブも国によって訛が違います。
中には訛りをバカにする人はいますけど、どこ行っても、そんな人が普通じゃないだけなんで無視でOK。
この気付きを得てからは、英語を話すことへの怖さはなくなりました。
自分が自信を持って面白いという話であれば、皆しっかり聞いてくれるからです。そこに英語の話し方の失敗もクソもないわけで。
そして、そんな場数を踏んでいると自然と英語のレベルも上がってきます。
上手いに越したことはないですし、時と場合によっては必要です。
でも、それも中身があって初めて意味のあることです。上手くなければダメな時って、それこそ重要な話し合いの場でしょうから。
冷静になって一番重要なことに気付く
相手がいるから会話が成立するんだという気付きです。
当たり前の話ですが忘れてました。
自分の英語力とか、自分でどうするかとか、自分自分のオンパレード。
自意識過剰です。
会話の相手が興味を持てる話をしているのか。
相手が聞き取りやすいように話しているか。
同じ時間と空間を共有してくれている人の気持ちを考えれば、話すことが怖いと思う暇は全くないです。
冒頭の私の失敗談も、銀行の人はなんとかして私の口座開設を手伝う為に私と相性の良さそうなスタッフを見つけようと配慮していたのかもしれません。
恥ずかしい、失敗した、と自分のことばかり考えていましたが、相手はそんなことを気になんかせず必死に対応してくれていたのかもしれません。
もちろん、私が顧客だったからとも言える対応ですが、たいした金額を預けるわけでもない外国人が、彼らにとって重要な顧客だったとは思えません。
彼らは別の仕事もあって私に時間を使ってなんかいられなかったのかもしれません。でも、ちゃんと別のスタッフが来てくれています。
相手の配慮なんて頭になく、自分の状況だけしか見えていなかった、今思えば私の失敗はそこじゃないかと思います。
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まとめ
会話が相手がいてくれるから成立します。
まずは、相手がなぜ自分の話を聞いてくれるのかに目を向けた方がいいです。
英語が下手でカッコ悪いとか恥ずかしいというのは自分だけが気にしている話です。
相手が求めているのは話の中身です。
- 英語力の良し悪しは誰も気にしていない
- みんな完璧ではない
- 話の中身がカッコいいかどうか
この3つを意識したら、私は英語を話すことが怖くなくなりました。
以上、最後までありがとうございます。