期待してるよ!! ってなんかポジティブな響きに聞こえます。
でも、期待通りの結末が訪れなかった時の雰囲気といったら、もうなんか言葉に出来ない、、、
期待されてた側を思うと切なくなります。
期待するって、する側の勝手な都合や願望で一方的なものだから、こんな場面に出くわすのかなと思います。
ってことで、人の振り見て我が振り直せ、期待しない、されない生活を送りたいが今回のテーマです。
最初にまとめるとこんな感じ。
- する側にとってメリットがある行為
- される側にとってはデメリットの方が多い
- 距離を置く
- やんわり伝える
- 期待する側も巻き込む
- 気にしない
- 人は他人の為に生きていないことを自覚する
- 期待は自分の都合であることを理解する
- 〜なはずだという考えをやめる
- 欲しい結果は期待するのではなく伝える
- 頑張っている人は他にもたくさんいることを知る
- 自分がコントロール出来るものだけに集中する
ってことで、私の独断と偏見に塗れた期待についての細かいことが続きます。
期待するって身勝手だと思う
期待するって勝手に結果を求めてしまうことじゃないかと思う今日この頃。
勝手に期待しておいて、期待通りにいかないと勝手に失望するという、勝手を何回言えばいいのかわかんないヤツです。
なんか知らんけど上手く期待通りになっても、満たされているのはごく僅かな間だけ。
再び、より大きな期待を勝手にしてしまう。
勝手に期待される側からしたら勘弁して欲しいこと、この上ない話じゃねーのかと思っております。
期待しているよって、ポジティブな応援みたいになってる時がありますが、期待される側としては、
- 目標に向けて誰よりも強く願っている
- なんか責任押し付けられてる、、、
- そもそも、そんなつもりがない
な感じが大体なわけで、期待なんて望んでないんじゃ、、、と感じるわけで。
じゃあ、期待って誰の為なの?ってことなんですが、期待する側の為のモノなのかなと。
する側の願望だとか、応援してあげてる感とか、期待を言い訳にきちんと伝えてなかったことを正当化するとか、する側にとってメリットがあることが期待ってことなんでないかと思います。
なぜそう思うかというと、期待通りにいかない時の感情がそうだから。
期待通りにいかない時の感情
- 失望
- ストレス
- 怒り
などなど、え?なんで?っていうくらい期待する側の負の感情が込められてます。
期待される側がなんか迷惑掛けたのかと不安になるレベルです。
よく見るパターンとしては、「君には期待してたんだけど」とか、「なんでこのくらい出来ないの」とか、あれ?なんか悪いことしましたっけ?って思えるリアクション。
もちろん手抜きしたとか、やってないとかだったら分かります。グーの音も出ません。
でも、そういう時は単純に怒られるとか、呆れられるとか、違う反応が返ってくると思います。
勝手な期待に応えることが出来なかった時は、違う空気が漂います。期待する側は失望してるし、される側はしっくりきてないし。
期待という行為が、される側を考慮されたものではないからこうなんのかなと、期待する側の願望が叶うことが期待通りの結果ということなのかなと思います。
だとすれば、期待される側はなんも関係ないし、リスクしか無くね?ってことになります。
期待外れの反応が返ってくる時って、え?なんで?が私の率直な思いです。
勝手に期待された上に、勝手に失望されるとかマジ勘弁。
関連記事:言った言わない問題の解決はめんどくさい。原因を知って防止策作ろうぜ!!
期待するって信用するってことじゃなくない?
逆に期待されないって信用されてないってことなんじゃね?って考えもあると思います。
ある意味では、そうです。
だって、信用してない相手に期待する人は、あんまりいないんじゃないかと思うので。
んで、信用している人に期待するのってどうなの?って話なんですが、私は微妙な心持ちです。
信用しているっていうのは結果がどうなろうが、この人!! って思えることなのかなと考えているからです。
結果が伴う答えを期待している地点で、もっとビジネスライクな感じがしてならないです。
なぜビジネスライクかというと、仕事上の信用と期待はある程度、近い関係にあると思うから。
お互い利益を追求して活動しているわけで、何をするにも、そこには利益という結果が求められるので、
信用している ≒ 期待している ≒ 望んだ結果を生み出す確率が高い
という関係性が考えられます。
しかも、上手くいかない時の対策は取っているわけで、信用しつつも、利益を期待しつつも、リスクヘッジもちゃんとしているのが大概です。
取引先に対する信用ってものは確かにありますが、なんていうか言葉は同じ信用ですが、その意味はズレがある気がしてます。
ビジネスパートナーとしての信用と人間関係の信用は別な感覚だというのが私の考えです。
人間関係の信用というのは、その人だからって気持ちで完結するのかなと。
結果とか見返りは無し。
なんなら、信用している人が出来ないのなら、多分他の誰がやっても出来ねーよと素直に思う関係なのかなと思います。
多分ですけど、信用された側も、そういう気持ちを感じとって「よっしゃ期待に応えるよ」ってなるのかな。
期待される側が、自発的に期待に応えようとする感じ。
ポジティブな期待は、こういう感じであって欲しいなと私の希望も込みで、そう思います。
お互いが信用や期待を見返りなく思える相手は、滅多にいないと思います。
ポジティブな信用や期待って、それくらいハードルが高いもんです。
身勝手に期待する人がいる時の対処法
一番手っ取り早いのは、距離を置くこと。
よく言われてることで、自分で周りを変えることは出来ないけれど、自分で自分自身を変えることは出来るわけで、とっとと距離を置けば、勝手に期待されることはなくなります。
とは言ったものの、そう簡単に距離を置けない場合もあります。
その場合は、次の方法があります。
やんわり言う
はっきりじゃなくて、やんわり言います。
はっきり言うのは距離を置くのと変わんないので笑
なんとなく期待されているのが感じられる時は、やんわりと、全力尽くしますが期待に沿えるかは分かんないっす!! テヘペロと、こちらも予防線を張っておきます。
期待する側もなんらかの自己メリットを求めているので、こちらも同じく自己防衛の為に予防線を張ります。
対症療法的ではありますが、予め相手の期待の大きさを削っておくことで、結果が出なかった時でも相手の失望感を軽減させることが出来ますし、結果が出た時でも次回以降の期待感を削っておくことが出来ます。
期待する側も巻き込む
期待するというのは、ある意味で当事者でないから出来ることです。
いっそのこと相手も巻き込んで、当事者になってもらいます。
例えば、資料の確認をしてもらうとか、アドバイスをもらうとかでもいいです。
結果が出ないと、言った通りにやらなかったからとされてしまうかもしれませんが、周囲からは言い訳に見えるだけです。
次回以降、お互いの平穏の為に期待というものを封印してくれます。
注意点としては、周囲にも巻き込んでいることをアピールしとくことです。
客観的に見て、期待していた側も当事者になっていないと期待する側が気付かないパターンがあるので。
気にしない
勝手に期待されてるだけなので気にしないのも方法の一つです。
期待通りの結果が出ない時は、期待する側からは失望されるかもしれませんが、気にしません。
だって、身勝手に期待されてるだけなので。
そもそも期待されることって、やらなければいけないことではないことが多いです。
マストでやらなきゃいけない時は、期待してる暇なんてありません。
周囲も含めて、その結果如何で今後の展開が変わってくるので、みんな必死で結果を出す為の手を打ってきます。
期待される程度の話であれば、周囲にとっては問題にならないことのが多いです。
むしろ、自分自身の結果の為に、自分だけに集中してればいいんじゃないかと思います。
関連記事:華麗にスルー 人の話を真に受けないで受け流すと少し楽に生きていける。
自分が期待しない為の心構え
期待するって、結構身勝手だよねーって話を展開してきましたが、実は自分も勝手な期待を抱いているんでは、、、?と思い至ることがあります。
- 誰かに対して、これくらいはやってくれてるだろうと、自分としては小さいことだからと甘えて期待してしまう
- 自分は頑張っているんだから、周りは評価してくれるはずと期待してしまう
- 自分はこれだけやったんだから結果が伴うはずと安易に期待してしまう
油断してると身勝手な期待を自分がやってしまっている、、、ということはある気がします。
自分自身も身勝手な期待をしない為の心構えを準備しておきたいところ。
人は他人の為に生きていないことを自覚する
凄まじく当たり前の話ですが、初心は大事。
世界は自分を中心に回っていません。人それぞれ自分たちの思惑があって生きています。
自分が期待することは自分自身の思惑なだけであり、自分が思った通りにいくことなんてないということを意識的に忘れないようにします。
期待は自分の都合であることを理解する
期待は自分自身の都合による願望であることが大半です。
あたかも誰かを応援している風にして、ガッツリ自分の願望を覆い隠してるだけだってことを理解します。
それと、願望だけが先行して、現実が見えなくなる可能性も出てくるので、願望と現実を分けて考えるようにもします。
「〜なはずだ」という考えをやめる
「〜なはず」という固定観念が、こういう結果になるはずだという願望へ、その願望が期待へと変わっていきます。
固定観念やこだわりをやめることは、身勝手さを抑える一つのポイントになると思います。
それと、「〜なはず」という考え方は新しい発見の妨げにしばしばなります。よほどのことでない限り、ゆるく様々な視点から考えられるようになっている方が自分の成長につながりやすいと思います。
関連記事:ゆるく生きる。頑張らない。こだわりなんかは求めない。
欲しい結果は期待するのではなく伝える
欲しい結果は、やってくれてるだろうと期待するのではなく、きちんとやって欲しいと伝えるようにしましょう。
当たり前の話ですが言葉にしないと自分の考えや思いは周囲には伝わりません。
勝手に期待して、なんでやっててくれなかったの!? という話は不毛でしかないです。
関連記事:言語化の力と鍛え方。この想い伝われ!!って時にめっちゃ使える。
頑張っている人は他にもたくさんいることを知る
〜なはずという考えをやめることと合わせ技にもなりますが、自分がこれだけやったんだから、「良い結果が出るはず」、「評価されるはず」と期待しない、思い込まないようにします。
自分以外に頑張っている人は、他にもたくさんいます。
頑張ることは大切ですが、頑張りだけが結果の要因にはならないです。
関連記事:理想と現実にギャップがあるから意味がある【簡単に埋まってもらうと困るんだよ】
自分がコントロール出来るものだけに集中する
期待してしまうことは、自分でコントロール出来ないものであることが大抵です。
自分で結果をコントロール出来ないから、勝手に結果を誰かや何かに求めてしまうんだと思います。
自分でコントロール出来るものだけに集中して、その他のことに一喜一憂しないようになると、期待という勝手な欲望に支配されにくくなります。
コントロール出来ないことの結果に、あっそうなんだーくらいの感覚でいる方が自然で楽だと思うんです。
関連記事:他人と比べてしまうことに疲れる原因は論理的に比べてないからだと思う
まとめ
- する側にとってメリットがある行為
- される側にとってはデメリットの方が多い
- 距離を置く
- やんわり伝える
- 期待する側も巻き込む
- 気にしない
- 人は他人の為に生きていないことを自覚する
- 期待は自分の都合であることを理解する
- 〜なはずだという考えをやめる
- 欲しい結果は期待するのではなく伝える
- 頑張っている人は他にもたくさんいることを知る
- 自分がコントロール出来るものだけに集中する
勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に期待を求めない人に私はなりたいです。
以上、最後までありがとうございます。