仕事が中々進まない、遅れがちだという場合、仮説を立てて動いていないからかもしれません。
つい先日、そんな相談を受けたので、その時知ったかぶりで話した内容をまとめました。
ざっくり、こんな内容です。
- 方法や答えが一つではないことに対処する場合は、仮説を立てて方向性だけ定めて開始するといい
- 方向性すら定まらない理由は、最初から自分の考えや予想、つまり仮説が正しいかを気にしてしまうから
- 仮説は間違っていたという結論が出るのも成果の一つで、次に別の仮説を立てて再検証すればいい
- 大事なことは、仮説・検証・評価・次の行動をぶん回していくこと
仮説の大切さは多くの人は把握していますが、仮説に必要以上の正しさや完璧さを求めている人が結構いたりします。
大切さを理解しているだけにしっかり思考しようとしますが、正しく穴のない仮説を目指すと「あれ無理じゃね?」ってなり、スタートラインから動けなくなる現象に陥ります。
仮説は「仮の説」です。検証と評価ができ本筋から外れていないのであればOKなのです。
実際、行動を起こして検証してみると方向転換が必要になることはしばしばです。とりあえず尤もらしい仮説であれば、仮説・検証・評価をぶん回して結果を積み重ねていく方が仕事は早く進みます。
仮説のポイントを意識しながら、ぶん回していきましょう。そんな話です。
仮説について
仮説とは何か言葉の意味を調べると、仮説とは、真偽はともかくとして何らかの事象を説明できる仮の答えとのこと。
仕事における仮説はもう少し意味に幅があり、方向性を定めるものという感じです。
営業、商品開発、社内業務、経営戦略、どんな領域においても正解は一つということはないですし、自社や競合の得意分野、流行、市場規模、新技術など様々な要因によって変化もしていきます。
しかも、理論上これだという答えを見つけたとしても、この世の全ての要因を見込めるわけもなく、あくまで自分の中では最適解という話。実際にやってみないと分からないことだらけです。
じゃあ何も考えずに闇雲に行動するかと言えば、結果は運任せになりますし、成功・失敗に関わらず結果の理由が理解できないままです。
そんな時に、真偽はともかくとして尤もらしい答え、つまり仮説を考えます。
仮説があれば、未来は分からないけど今の自分(達)にとっては正解だと思える方向性が決まり、行動に一貫性が持てますし、仮説という検証・評価できる基準が生まれるので、なぜ成功・失敗したのか理由を絞り込めるかもしれません。
つまり、仮説とは仕事において方向性・基準を定めてくれるベースになるものと言えます。
そして、仮説を立てる時にはルールが必要です。
仮説は根幹に近い存在で、ここがブレブレだと上に乗っかる全ての要素もブレまくるからです。
といっても、基礎はそこまでややこしいものではありません。おおまかな流れとポイントは次の通りです。
- 動機・目的の設定
- 仮説を立てる
- 検証する
- 仮説の評価をする
- 評価に応じた次の行動
- 仮説に正しさを求めない
- 穴のない仮説にしようとしない
- 検証ができる仮説を立てる
- 仮説・検証・評価を一連の流れで行う
- 得られた評価を客観的に受け止める
動機・目的をしっかり設定し仮説・検証・評価をぶん回すことを意識して実行し、仮説は「仮の説」である意識が持てれば上手く機能します。
仮説は、今自分が持っている客観的事実を基に導き出された答えであり、それ以上のことはできません。
もっと情報を集めて、より正しい穴のない仮説にすればいいじゃないかという意見はあると思います。
しかし、調べ出したらキリがありませんし、当初の目的以外の情報は仮説・検証の段階では過剰な情報です。それに、仕事の納期に間に合わなければ調べた意味がなくなりますしね。
経験則で申し訳ないのですが、よほど大掛かりな案件でもない限り、さっさと自分で仮説を実行して情報を集めた方が手っ取り早いですし、生きた情報が手に入ると思います。
仮説による方向付けは至る所で行われている
先ほどの話の通り、仮説は方向性のベースになるものなので、案外気付かずに至る所で使われています。
- 目的を汲み取って頼まれ事をこなす時
- 顧客の欲求や興味を考え提案内容を考える時
- ニーズや流行や得意分野を分析して商品開発する時
- 課題解決の為に適切な手段を考える時
簡略化したふんわりした例ですが、皆さんの実務に照らし合わせてみると大体の場合、仮説を立てていることに気付くと思います。
方向性が定まっていない時、人は中々動けないか、理路整然と行動できないことが多く、何から手を付ければいいか分からん、、、とりあえず納期に間に合わせただけでダメ出しを受ける、、、など結末としては大体こんな感じになります。
方向性や基準がないと人間って動けないんだなぁと思い知らされます。
逆に手順、答え(結果)が明確に決まっている仕事は、既に方向性が固まっているので仮説が不要です。
定型化された書類仕事や単純作業など、何も考えずにやれる仕事は、大体これです。
潔癖症な仮説の立て方だと仕事が進まない
どこから仕事を始めればいいか分からない、よく遅れるという場合は仮説を立てるに潔癖になりすぎなのではと感じます。
仮説は「仮の説」です。仮説の真偽はともかくとして出した仮の答えなので、仮説に正しさを求めても仕方ないです。
検証することで得られる評価・結果こそが仮説の本領です。検証によって仮説が間違っていたとすれば、その仮説は間違っていたという知識・情報を手に入れることができます。
正しいかどうかはどうでもよく、仮説の結果から得られた知見・次の行動の精度向上に価値があります。
ところが、正しく穴のない仮説を立てようと、仮説構築に時間を使いまくる場面を見ることがあります。当然、仕事が遅れる原因の一つになります。
経験則による独断ですが、完璧主義や潔癖症な人が正しい仮説を求める傾向が強いです。公に晒すものを間違っていることが許せない、恥ずかしいと感じるからかもしれません。
実際、定型化や既存の仕事を卒なくこなすが、新規や裁量のある仕事が苦手という人と仕事をしたことがあります。
話を聞くと、間違いを許せない、恥ずかしい、怖いといった感情があり、仕事のとっかかりが見つからないことが多く、時間が掛かれば掛かるほど質の高い仕事にしなければという思いも出てくるとのことでした。
完璧さや潔癖さは一つの個性で、その分丁寧な仕事ができる長所にもなりますが、仕事の内容で求められることは変わります。
仕事によってはミスが許されないものはありますが、ミスが許されない仕事が仮説で試してみるなんて段階にあるわけもなく別次元の話です。
仮説は間違っていても良いという考えを取り込めると便利です。小さい作業からでも始めてみるといいかもしれません。
もちろん、管理側の問題によるところが大きいのは言うまでもありません。部下の特性を把握して適切な指示を出すことが第一です。
潔癖なタイプの人に曖昧な指示を出せば、仕事が進まなく確率は上がります。初めに仮説を渡して検証を任せるとか、具体的な基準を設けるなどして、ある意味自由度を下げた采配をする必要があります。
管理は管理で、時間や人など限られたリソースで采配しなければいけないので、どうしても当人に任せたい部分が出てくるのも分からなくはないのですが、、、
結果ありきの仮説では意味がない
こちらも仕事が上手くいかない可能性のある仮説運用方法です。
仮説が正しいことを絶対とした検証、または仮説が間違いという評価を無視するやり方です。
答え・結果から逆算していく進め方は、仕事の質を高める良い方法だと思います。
しかし、検証と評価によって間違いだった時には、その答えを捨てる柔軟性は必要です。
というか、仮説が絶対に正しいとするならば検証の意味も必要もなく、そのまま事を進めればいいだけです。
そんなことは皆さん百も承知なわけで、仮説を裏付ける根拠をどこかに示さなければいけないのかもしれませんが、、、
煮詰まった話をひっくり返すことは容易ではないですし、限られたリソースで仮説や検証を繰り返すことは難しいです。時には上意下達で正しいというデータだけを集めなければいけないのかもしれません。
でも、正しい仮説の運用法かと言われれば、そうだと答える人は少ないでしょう。そのやり方に慣れてしまうと、本当に必要な時に上手く仮説を運用できなくなります。
何より客観的な評価が間違いなのであれば、その仮説を前提で進める仕事は失敗の可能性が高いはずです。
たいそうな仮説でなくても得られるものはある
仮説をキーワードにして調べるとマーケティングやコンサルタントが用いる手法が色々見つかります。
こういう情報を目にすると、大きな案件や大企業でもなければ関係ないと感じることがあるかもしれません。
そんなことはなくて、仕事の大小に関係なく活用でき、得られるものは沢山あります。
例えば、上司からおおまかな資料作成の指示が来る時があったとします。
当ブログでも書いたことがありますが、60%程度の出来栄えで一度提出して、上司の反応や意見交換をするとスムーズにいきやすいです。
これって仮説と検証をぶん回しているのと一緒です。
上司の意図を100%理解できたわけでなくても自分の理解(仮説)の基、とりあえず作成して提出する(検証)、それによって上司の反応や意見(評価)が得られます。
繰り返す内に、上司の傾向が見えてくるので、また同じような指示が来た時の仕事の精度が高くなります。
仮説や思考に関する研究がなされ、仮説思考とか仮説検証とかフレイムワークとかちゃんと勉強しないと運用できなさそうなものが沢山あります。
勉強した方がいいのは間違いないですが、できることから今すぐ始めてみることも間違いじゃないはず。
日々の小さな仕事から仮説に挑戦も悪くないんじゃないかぁと思います。
関連記事:完璧って何基準での話?まずは「ほどほど」で完成形を探ろうと思う
まとめ
仮説は間違っていてもいいなんて、皆知ってるわと突っ込まれそうな内容で心配です。
ただ、ソースは自分な話でいくと、結構最初から仮説に正しさを求めすぎている人が多いなと感じています。
- 仮説に正しさを求めない
- 穴のない仮説にしようとしない
- 検証ができる仮説を立てる
- 仮説・検証・評価を一連の流れで行う
- 得られた評価を客観的に受け止める
この辺りを大事にしつつ、日々の仕事にリンクさせると色々発見があるかもしれません。
以上、最後までありがとうございます。