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学び

他人と比べてしまうことに疲れる原因は論理的に比べてないからだと思う

幸せなのか、優れているのか、恵まれているのか、感情的に満たしたくなると安易に他人と比べがちです。

しかも、大体は隣の芝生が青く見えちゃうわけで、がっかりするばかり。

他所と比べてどっちが青いかと優劣をつけてばかりでは、自分より優れた人はなんぼでもいる世の中、自信喪失や劣等感に陥ります。

仮に、お隣さんよりウチの芝生の方が青いと優越感や幸福感が得られたとしても、お隣さん家が青くなり出したら、そんな幸せは露と消えてしまいます。

気持ちを満足させようと他人と比べてばかりでは、むしろ気持ちは疲弊していくばかりです。

他人と比べることに否定的な意見が沢山あるのも頷けます。

でも、これって他人と比べること自体が原因なのではなく、運用目的が原因なのではと思います。

無意識に比べたり、劣等感や優越感など感情的な比較だったり、他人と比較した結果の運用先が有意義なものでないと、他人と比べることは疲弊の原因になります。

隣の芝生が青く見えて、青いぜクッソーと嫉妬するだけなら何も生まずに疲れるだけなので比べること自体不要ですし、もし青くしたいのであれば青くする方法を比較・分析すべきです。

比べることは、目的達成の手段としてこそ価値があるんじゃないかと思います。

そんなわけで、青でも赤でも何でも良いから自分の目的の為に比べた方が良くね?というお話です。

他人と比べてしまうのは自然なこと

他人と比べてしまうのは自然なこと

集団を形成して生きる人間は他人と同調しようとする性質が備わっています。その為、他人と比較して自分が異端ではないかを確認する傾向があります。

また、人間は自分が特別でいたい欲求を持っているので、他人と比較して自分が劣っていないこと、もしくは優れていることを気にする性質があります。

社会に馴染もうとすること、人間的な欲求を満たそうとすることは、人間として極々当たり前のことで、そこから発生する他人と比べるという行動は自然なことだと言えます。

しかし、自然なことであるが故に、人と比べるという行為は簡単に習慣化してしまい、不要だと思える場面でも無意識に行ってしまうことがあります。

不要な場面だということは、他人と比べる行為は意味をなさず、場合によっては害になるかもしれませんし、無意識で行うことで比較する基準が非論理的になっている可能性もあります。

他人と比べることが否定されがちな理由は、この無意味な比較が原因なんではと思います。

他人と比べることは悪いことではない

他人と比べることは悪いことではない

先述の通り、他人と比べることは人間として自然なことでもあり、必要なことでもありますし、メリットもあります。

ただし、上手いこと活用すればという条件はつきます。

他人と比べるという行為を目的とせず、手段の一部として捉えられるかどうかです。

例えば、仕事の質を高めたいと考え、同僚に自分が目標とする仕事の質を確保している人がいたとします。

同僚の仕事のやり方を手本とし、仕事を進めれば質を向上できそうだと分かります。

この時、次のような過程を経ると思います。

  • 同僚と自分のやり方を比べる
  • 違いを分析し、どの部分を真似ると質が高まるかを考える
  • 真似るべきポイントを練習する
  • 仕事の質が高まる

上の過程を見ると、仕事の質を高めるという目的に対し、他人と比べる行為は手段の中の一部に過ぎないことが分かると思います。

他には、学校や職場など所属するコミュニティで、周囲との距離感を程よく確保する為に他人と比較することがあります。

気が置けない友人を持つことは大きな意味を持ちますが、だからと言って所属するコミュニティで必ず見つけなければいけないわけではないですし、全員と仲良くする必要もありません。

学校であれば、勉強や運動、社会性を身に付けることなどが目的ですし、職場であれば職務を全うすることです。

人間誰でも合う合わないはあります。合わない人とも目的に支障のない距離感を確保する必要もあるでしょう。

自分とだけでなく、周囲同士も比べることで、様々なタイプの人がいることに気付けます。

人それぞれの気質を知ることで距離感の確保に役立てることができ、目的を果たしやすくなります。

他人と比べることは目的達成の手段だと認識できれば、上手く活用できると思います。

他人と比べる、比べないが極端だから問題になる

他人と比べる、比べないが極端だから問題になる

何事もそうですが、適宜活用するから価値やメリットがあるわけで、極端すぎればただの毒です。

何でもかんでも他人と比べてばかりでは、周囲のことが気になるばかりで本来の目的を果たせませんし、必要のない比較をしてしまいます。

次の行動に繋がらない、比較だけで終わってしまう、こんな比較であれば必要ありません。疲れるだけです。

他人と自分を比べて優劣があったとして、比べて終わるだけであれば結果は変わりません。比べることで自分が成長するわけでも、他人が後退してくれるわけでもないので。

比べることで、悔しい気持ちを原動力にするとか、分析や手本にするとか、別の行動に繋がらないのであれば、意味はあまりないのだと思います。

むしろ、他人と自分との差に落ち込んだり、諦めたくなったり、消耗しかありません。

実際、「仕事ができるか」の基準を他人との比較を基に設定する必要がないと書いたことがあります。

「仕事ができるか」は、「仕事ができたか」で判断すべきなわけで、他人と比べる必要はないです。他人と比べる意味があるとすれば先述の通り、分析や真似る為の手段だと捉える方が上手くいきます。

関連記事:仕事ができる人。逆算思考、比較しない、お願い、が自然にできる人なのかも。

かといって、他人と比べることを完全に排除することはやりすぎです。

人として特別でありたい、周囲から評価されたいという欲求は大なり小なり皆が持っています。

他人と比べることは、社会性を持って生活する上では必要な行為です。

完全に他人と比べることを排除した生活を送るのであれば、普通に持っている欲求を抑制し、多少なりとも既存の集団から浮くことを厭わない気概が求められます。

極端な言い方をすれば、新しい集団(もしくは自分単独の存在)の中心になる気持ちがあるかという話になります。

そんな極端な生活を送るくらいなら、ほどほどに他人と比べ、適度な協調性を持ちつつ、自分との距離感を確保する方が随分と生きやすい気がします。

他人と比べる目的を論理的に考える

他人と比べる目的を論理的に考える

先にも述べた通り、人間は本能的に他人と比べる性質があります。というか過去の自分など何とでも比べたがります。

無意識で行っている「比べる」を何故行うのかを意識して考えることで、比べた方が良いこと、意味がないことが分かりやすくなります。

他人と比べることは、毒にも薬にもなります。

目的のない比較は無意味、ないし害になることは先ほど書いた通りですが、なぜ目的もなく比べてしまうのでしょうか?

突き詰めて考えると人それぞれの原因があると思いますが、私自身の経験を例に挙げると次のような原因がありました。

  • 嫉妬や後悔などを慰めようとしている
  • 目的の設定ができない事柄を比べている

例えば、自分の方が頑張っている、優れていると(勝手に)思っていた誰かが良い評価を受けた時に有害な比較を行うことがありました。

納得いかない、自分の方が優れていると、何ら根拠のない愚痴めいた比較で自尊心を慰め、それでも足りずに比較を続けると、なぜ自分はダメなんだと無意味な自責に到達します。

私の場合は感情的になると、目的・意味のない比較を行っていたことが分かります。

しかも、感情的な比較は目的がないだけではなく、比較対象も論理的ではなく自分都合になりがちです。

  • 頑張りの大きさ → その人の頑張りを勝手に想定して比較する
  • 優劣 → 周囲の客観的評価を完全に無視して比較する

事実に基づかない比較では論理的な納得感のある答えになるわけがありません。改善・解決策も思いつかないので、いずれは負の感情が自分自身に向いていくだけです。

上記は私の経験ですが、感情的、非論理的な比較対象、意味の目的が未設定というのは、他人との比較で消耗する人に当てはまる場合が多いと考えています。

他人(あるいは過去)と比べる時に、自分にプラスに働く比べ方でなければ意味がありません。

感情をコントロールし、論理的な比較対象を用意すれば、自然と明確な目的が設定されます。

いつも他人と比べてしまう時には

いつも他人と比べてしまう時には
ついつい比べる
  • SNSで流れてくる成功者に嫉妬してしまう
  • 一流学歴の知り合いと比べて自分を卑下する
  • あの人はかっこいいから人気者だなぁと羨む

上記のように、ついつい自分と比べてしまうことってあると思います。

その人がどんな人生を歩んできたかは分からないし、自分の過去や容姿は変えられるものではないことは分かっています。それでも、表面上だけを見て感情が勝ってしまいます。

大体こんな時は、自信を喪失していたり、何か上手くいかないことが重なっていたりします。自分自身が順風満帆なら、人は人、自分は自分、と思えるだけの余裕があると思うんです。

本来であれば、対抗策として論理的に考えるのがベストだと思います。

  • 他人の成功に嫉妬する → どんな苦労があって成功したか分からない
  • 過去の実績を比較する → 過去は変えられない、未来を考えるべき
  • 容姿や才能を羨む → 人間には平等に不平等が訪れる

他人と比べた結果を前向きな行動に結びつけられないことは明らかなので、比較する意味がないことは分かります。

次の行動に繋げられるような比較対象を探す方が建設的です。

ところが、落ち込んでいる時に論理的だとか整合性だとか考える余裕はありません。感情の赴くまま気になるものに目が行きがちです。

外部からの情報を取得すると、成功話や優れたところなど嫉妬心や劣等感といった感情を掻き立てられる対象が気になってしまいます。

強引にでも外部には目もくれず、自分に対する内向きの視点を持つことで冷静になる時間を作ることができます。

  • SNSなどの外部情報を遮断する
  • 嫉妬心や劣等感を感じるものから距離を置く
  • 自分がどう成長してきたかを振り返る
  • 未来の自分の為に、どんな行動を取っているか考える

などなど、自分の内側から比較対象を発見するようにします。

ただし、自分に目を向ける方法は万能ではなく、自分の感情を落ち着かせる為の一時的な処置だと個人的には思います。

完全に外部の情報を遮断し続けるには限界がありますし、仮に続けることができるほど精神力が強い人であれば、そもそも他人と比べて落ち込むなんてことにはならなくない?と考えているからです。

社会性を持って生きれば、外部の情報は入ってきますし、むしろ必要なものです。誰かと自分を全く比べずにいることの方が、どこかで齟齬が発生するのではと思います。

やはり大事なのは、しっかりと目標設定をし、その為の手段として論理的な比較対象を比べることです。

必要な比較は行い、不必要な比較は行わないことが、他人との比較で消耗しない一番の方法ではないかと思います。

まとめ

他人と比べて生きることは、社会との繋がり生活していく上で必要なことです。

しかし、感情第一で他人と比べていると疲れ果てただけというオチになることが多いです。

自分が幸せになってこその人生なわけで、自分にプラスになるような比べ方をしたいところです。

大事なことは、何の為に比べるのか、比較対象は論理的かを冷静に判断することです。

自分の芝生が青く見えるぜってようにしたいですね。

以上、最後までありがとうございます。

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