誰かがミスった時にやたらめったら詰める場面を見ると、それじゃ何も解決しないと思いますし、正直良い気分にはなれません。
一方で、「あなたの責任ではない。私の責任だ」だけで済まそうとする場面を見ると、それは優しさでもフォローでもなんでもないと過去の失敗が思い出されます。
何事にもやるべきこと、優先順位というものはありますが、明言しないとわからない、伝わらないことって本当によくあります。それはミスの対処でも同様です。
いつもと違いストレスが掛かる状況なので感情を上手くコントロールするのが難しいのはすんごくわかるのですが、やはり何が大事で優先すべきか考えないといけないなぁと思います。
ということで、今回の内容をざっくりまとめると、
- ミスを責め立てるだけでは、解決や再発防止に必要な情報を遮断するだけで何も解決してくれない
- ミスの原因は個人に集約されるものではなく、業務手順や管理体制など持ち場ごとに地雷が埋まっているケースの方が多い。それぞれが果たすべき責任の確認と改善をする必要がある
- したがって、持ち場を無視して俺の責任だと問題を回収してしまうことも同じく何も解決につながらない
- 過去に私は「俺の責任」とミスを回収してしまった方が楽と判断して持ち場ごとの責任を無視したことがあり、非常によろしくない結果を招いたことがある
- 常日頃から5W2Hを意識して仕事を言語化したら、情報共有しやすい環境になってミスの解決や再発防止に役立った経験がある
他人のミスを責め立て続ける人って何考えてんの?
ミスが発生したらやることを大雑把にまとめると、
- 目の前のミスを解決する
- 今後のミスへの対策
関係者への謝罪やフォロー、他所でも起きていないか確認など細かく言えば色々ありますが、大きく切り分ければ今と未来の2つに対処するのが基本作業です。
で、現在進行中だろうが、その後の対策だろうが、ミスを責め立てるだけではミスへの対処が遅れます。というか対処できません。
現在進行中なら解決が早ければ早いほど傷口は浅いわけで、ミスを責めている時間は勿体ないと思えます。
ミスを咎め続け、言い訳するなと説明を遮れば、当事者からの情報が得られません。
どんなミス、いつ、どこで、影響範囲など、情報は正確で簡潔な方が解決しやすいのは確かで、淡々と事実をストレートに報告できる環境を作る方が優先度は高いです。
ミスを片付けた後だって原因究明、再発防止策などやるべきことがまだまだあります。ミスした人を責め立てている暇はありません。
ミスの原因には「人」が含まれることがほとんどです。だからといって特定の人に責任を取れと詰めまくれば、脚色した経緯報告、下手すりゃ虚偽の報告が混じる可能性だってあります。無茶苦茶言われたら、まずは自分を守る為に動くのは当たり前です。
事と次第によっては「なぜなんだー」と内心叫びたくなる時だってあるとは思います。しかし、感情が状況を改善してくれることはありませんし、冷静に考えると起きるべくして起きたミスかもしれません。
正しい原因に至らなければ正しい再発防止策に辿り着かないのは自明の理。いつだって欲しいのは正確な情報です。正確な情報を引き出すに為にを逆算していくと、ミスを責め立てるってのは悪手だというのは明らかです。
何より見ていて気分が良くないってのは正直あります。
ミスは一人のせいではないけれど、「お前は悪くない。俺の責任だ」という話でもない
そもそもミスの原因が個人に絞られることは稀です。ミスした人の責任がゼロだとは言いませんが、
- 他に関わった人は?
- 業務手順に穴はないか?であれば適宜見直しはしているか?
- ミスした人のスキル不足?であれば指示した管理者は?教育の機会はあったか?
- 管理者を任命者は?任命者の任命者は?
- 責任を負うべきだけの報酬はあったか?適任者の確保は?
実際にミスが表面化した地点が目立っているだけで、その道中にも地雷がしっかり埋まっているケースの方が圧倒的に多いです。
皆が悪い。責任を分散させる。という意味ではないですし、管理できなかった人が一身に責任を負うという意味でもないです。もちろん責任の重さで言えば「長」が付く人ほど重くはありますが。
それぞれの持ち場でやるべきことがそれぞれの責任範囲、それ以上でもそれ以下でもないという話です。
果たすべき責任を果たしていなければ指摘しなきゃいけないし、各々改善はしなきゃいけない。
その点、「ミスした人を責め立てること」と「俺の責任だ」は場所が違うだけで、責任の所在を1箇所に集約しているのは同じこと、目くそ鼻くそみたいなものかもしれません。
私は過去に「あなたの責任ではありません。私の責任です。」というフォローをしてしまったことがあります。今思えば考えが足りませんでした。
当たり前ですが、私の対応ではこういったことが起こります。
- 「あなたには任せられない」と言っているようなもの
- ミスに対処する機会を取り上げることになり経験の場を奪う
- 各持ち場のやるべきこと、責任を再確認する機会を奪う
- 事実を基にした原因究明、改善策ではないので再発リスクは高いまま
持ち場ごとの責任を明確にすることを責め立てることと一緒くたにしていたと思います。キツいこと言いたくないなと。
それと、自分で回収して対処した方が表面的な解決は早いなとも考えていました。短期的、短絡的に考えてしまって、そっちが楽だと感じてしまった。
それは誤りで、同じようなミスが再発するし、組織として成長がないままですし、責め立てるよりも酷いことしてたんじゃないかとも思います。
私の場合、ミスの原因の一部に「苦手なタスクを渡された人がいた」というものがあったのですが、この業務は私に移管しました。
適切にタスクを細かくしてから渡して経験の場を設けるとか、適材適所の配置転換をするとか、やりようはありました。(というか今思えば私の責任範囲の業務です)
しかし、私はそこに掛かるコストを嫌ってしまった。
業務内容を細かく言語化したり、配置転換の目的の説明をチームでしたり、役割分担に不公平感がないか調整したり、最初のうちは負担が増加するような仕事を避け楽しようとしたんです。
結果、苦手だった人は克服する機会を奪われるし、別の仕事を任されるわけでもないという状況ですし、私は責任範囲の業務を怠り、範囲外の業務に時間を費やし、チームの環境を改善しないままという状況に陥りました。一口で言えば最悪です。
私が楽だと思った対応は根拠があってデザインされたものでもなんでもない、目先のことしか考えていない対応だったわけで、しっかりと後でツケを払わなければならないのもやむなしです。たくさんの人に迷惑かけたな、、、と今更ながら申し訳ない気持ちでいっぱいです。
言語化がミスに対処する為の第一歩
いいだけツケを払えば流石の私も気づくこと、やったことが色々あって、特に勉強になったのが仕事を言語化すること。
関連記事:言語化の力と鍛え方。この想い伝われ!!って時にめっちゃ使える。
言語化すると情報共有に役立ちます。特定の人しか知らない情報だとか感覚的な話だとか直接認知できない情報を可視化してくれますし、背景や目的とかを明らかにすると「なんでそんなことになったの?」「なんでそんなことするの?」って疑問を解消してくれます。
例えば、5W2Hを意識して話す。質問する。というのを心がけるだけでも大分状況は変わります。
ミスの状況説明を受け取る時は相手が言語化しやすい環境を用意することも大切です。説明する人が言語化できるように鍛錬することも大切ですが、聞き手側にもやれることはあります。
いつ、どこで、誰が、、、のように回答項目を分けた報告フォーマットを用意すれば、言語化が苦手な人でも説明しやすい環境が作れます。
しつこくて申し訳ないのですが、責め立てたり圧力をかけたりして、緊張で言葉が出ない、説明にノイズや保身が混じるような環境にしないことも大切です。
再発防止策を講じるにしても、日々の業務を言語化しておけば原因の特定に役立ちます。なんならミスする前に気づく場合だってあります。
仕事の背景や目的、欲しい成果、どんな影響があるか、期限、誰が、その人である理由、優先順位。少なくともこれらが曖昧だと、受け手の解釈にばらつきが出て結果にも反映しますし、ミスにも繋がります。
また、業務が可視化できていれば仕事の偏りに気づきやすくなります。特定の人に業務が集中すればミスしやすくなるのは当たり前です。
もちろん5W2Hを意識するだけでとか、言語化するだけでミスがなくなると言いたいわけではないです。
どうしても解釈や理解の度合いに個人差はあって、経験ですり合わせる時間が必要な場合はあります。人手や適任者不足が原因の場合だってあるでしょう。
ただ、仕事を言語化、可視化することによって、共有が容易になったり理解度を深めたりできる方が仕事は楽になるし、ミスの確率は下がるのは間違いないです。
こういう準備をするから仕事は楽になるんだぞということは今後も肝に銘じておきたいなと思います。
以上、最後までありがとうございます。