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学び

やりたいことしかやらないのが人間なので他人の提案は聞いていないと思って構わない

動機がなんであれ、結局人は自分で決めたことしからやらない生き物なのかもしれません。

コンサルタントなんていうと烏滸がましすぎて表現の仕方がわかりませんが、ちょっとしたアドバイスやサポート業務を依頼されることがあります。

差し迫った面倒事の解決を手伝って欲しいというものがほとんどですが、ある程度未来や曖昧な相談事について意見を求められることも時にはあります。

ところが、ぼんやりとした事柄に対する意見って相手に響くことって稀なんですよ。

もちろん私の意見が的外れだからという場合はあると思います。しかし、以前と全く同じ相談同じ回答で今回は採用、実行されるということもしばしば。

初めのうちは、「なぜなんだぜ?」と思案することもありましたが、段々とそういうものだと深く考えなくなりました。

なぜって、人は原則的に自分がやりたいことしかやらないから。

ということで、今回の内容をざっくりまとめると、

  • 人間は基本的に「異なる意見に身構える」「短期的コストから考えがち」「やりたいことしかやらない」という性質がある
  • 他人の意見や提案はその中身よりも、これらの性質にマッチしたものでないと響きにくい
  • 特に相談内容が言語化できていないと意見が発散しやすく、受け入れられる可能性はさらに低くなる
  • 意見や提案が機能する時は、相談者の要求を明確に言語化し、回答者はサポートに徹した場合だけ
  • 上記以外で意見や提案が通ることもあるが、責任の所在が相談者であるべきところが回答者に飛んでくる場合があり、相談と回答が健全とは言えない状態かもしれないので要注意

「やりたいことしかやりたくない本音」と「他人の意見」は相性悪い

大前提として、私の意見が的外れである場合は当然無視されます。

的外れな話に時間を割くほど皆さん暇ではありませんし、逆に真面目に聞いていただいたのに的外れだった時には申し訳ない気持ちでいっぱいですし、精進が必要と反省しきりです。

したがって、時間を置いて同じ相談が繰り返され、かつ同じ回答だけど採用、実行された状況を抽出して話を進めていきます。

それで本題。相談事への意見が響かない理由って人には次のような性質があるからだと考えています。

  • 異なる意見には身構える
  • 短期的コストから考えがち
  • 自分がやりたいことしかやらない

濃淡はあっても誰でも持っている性質ですし、良し悪しということではありません。

異なる意見に身構えるのは自己防衛や鵜呑みにしない多角的な視点とも言えますし、短期的コストほど処理までの猶予が短く早い判断が必要ですし、「やりたいことだけやっていたい」なんて至極当然の欲求です。

ところで、意見や提案は回答者の見地でなされます。

相談者の欲求や悩みといった情報を基に、相談者が実行するのだけれど回答者ならどう思うか。

当たり前ですが、相談者と回答者は違う人間です。経験、能力、考え方や性格が違う中で回答者が出す意見が、相談者にとってイメージの湧くものか、実行可能と感じるのかはわかりません。

イメージ湧かない意見なんて言ってしまえば異質です。スルッと飲み込める人はそうはいません。よくよく考えると正論だったり、上手く取り入れられる部分があったりとしても、違和感を抱えたままでは難しいものです。

仮に違和感を乗り越えられとしても、実行コストの壁が立ちはだかります。悩みの深さにもよりますが、悩みとコストに同じくらい負担を感じるのであれば短期視点では何も行動しない方が楽です。

そもそも人間は自分がやりたいことしかやりたくない上に、「やりたいこと」とは期待する結果もセットになっていることがほとんど。そして、絶対大丈夫なんてことはないわけで、回答者から結果を約束された提案は出てきません。

じゃあ、相談者の思う通りに行動するだけだよねって話ですし、回答者には決断を後押しするような意見だけってことになりがちです。

もちろん回答者が読み取る情報の精度によって的外れな意見、全く読み取らず承認欲求増し増しの自分語り、なんてことも頻繁に起こることなので一概には言えませんが、基本的に人間の性質から言って、他人の意見や提案とは相性よくないんだろうなぁと。

相手のやりたいことに沿った意見は機能する

もう一つ付け加えると、テーマがぼんやりしていると更に相性の悪さを加速させます。

相談者が、何の為に。何をやる。いつまでに。どんな成果が欲しい。などを言語化できていなければ、

  • 回答者の情報の解釈は多様になる
  • 回答者の意見は発散する
  • 回答者の意見は一般論に落ち着く
  • 相談者は自分の考えと意見の比較が容易ではない

といったことが起きやすいです。そんな意見にピンとくるわけもなく、異物感とかコストとか言う前に聞く気にならないかもしれません。

意見を次々投げかけることで上手くいったことがあるという人もいると思います。

ですが、実態は意見の中身が役立ったのではなく、沢山の言葉が飛び交うことで言葉の選択肢が増え、相談者がやりたいことを言語化できるようになっただけって場合がほとんどです。それならカウンセリングのように相談者の話を引き出すやり方の方が効率良い気がします。

詰まる所、回答者は相談者のやりたいことを実現する為のサポートができるだけであって、

  • 相談者は、どんな意見が欲しいか。どうして欲しいか。を言語化、可視化できる
  • 回答者は、要求を正確に読み取り、サポートに徹するような意見や提案をする

この2つの条件が満たされると、意見や提案が機能します。他人の意見や提案が活きる場面はかなり限定的なのです。

「やりたいことではないが、やった方がマシ」でも意見は通るけど

振り返ってみると、私が経験した再度同じ相談同じ回答は実行されたケースは、2つの条件に“ほぼ”当てはまっていました。

といっても、結果的にそうなっただけで、“ほぼ”の理由にも繋がるのですが。

状況をサクッと説明すると、

  • 最初の相談回答時は仮定や備え的な話で、問題が顕在化していなかった
  • 再び同じ相談をされた時には、割と差し迫った状況になっていた

要は、再び相談された時には個々の問題が具体的になっていたので、テーマや要望が言語化、可視化できまくったってことです。

なので、「同じ質問」と書きましたが、厳密には相談を受けた私にとっては「それ前回言ったやつー」と感じたけれど、相談者にとっては全く違う質問だと考えていたかもしれません。

ともあれ、これによって相談者の条件が満たされていました。

次に回答者の条件。つまり私が満たすべき条件はどうだったかというと半々です。相手のやりたいことのサポートに徹した時もあれば、割と我を出した時もあります。正直、力不足だったり承認欲求に飢えていたりしたことは否めません。

これが“ほぼ”と書いた理由です。

じゃあ、なんで我を出しても実行された?って話なんですが、差し迫った状況だったということに尽きます。我が出まくった意見提案は飲み込めたもんじゃなくて、やりたいことでもなかったけれど、他に手を考える時間がない。やった方がまだマシだ。ということだったんだろうなと。

であれば、「相談者がやった方がマシと思える状況下」ってのを条件に追加できるのかという話ですが、相談乗っただけにしてはやたらと重い責任が付いてくる可能性があるから加えたくないです。

意見したことに全く責任がないとは言いませんが、基本その状況を作り出したのも対処するのも相談者。責任の所在は意見を求めた相談者にあります。しかし、「本当はやりたくなかった。提案が悪かったから失敗した」というとってもワンダーな考えに至る人がたまにいます。

やりたいことは本人が導き出し、こちらはサポートに徹した意見を出す方が健全な形を維持しやすいです。

これは回答者は意見や提案が採用されないことに疑問を感じてはいけないという意味でもあります。実際に結果を受け止めるのは相談した側。自分がやりたいかどうかが判断基準になるのは当然です。

ということで、大事なことなので最後にもう一度。相談に対する意見や提案が機能する条件は、

  • 相談者は、どんな意見が欲しいか。どうして欲しいか。を言語化、可視化できる
  • 回答者は、要求を正確に読み取り、サポートに徹するような意見や提案をする

以上、最後までありがとうございます。

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