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学び

「若いうちは買ってでも苦労をしろ」は思っているより良いヤツだ

字面が強めな上に都合よく使われがちなフレーズの代表格の「若いうちは買ってでも苦労をしろ」。

24時間働けますか?的な職場環境では特に便利に使われていたこともあってか現代においては悪いイメージが定着しつつある気がしていますが、個人的には意地悪で出来た言葉ではないと思っています。ちゃんと意味を考えれば悪者扱いしなくてもよくね?

ということで、「若いうちは買ってでも苦労をしろ」のイメージを改善したいというのが今回のテーマです。

意外性を優先しすぎた「買ってでも苦労をしろ」さんサイドにも問題はあるのでしょうが、結局は使う人の意図次第でどうとでもなるのが言葉。人間さんサイドも言葉の意味を色々な角度から考えるべきなのではと思います。

ざっくりまとめると、

  • わざわざ苦労を買うのだから価値のある苦労を買うというテーマで使ってあげて欲しい
  • 字面だけで活用すると無価値なものまで買えと言っているようなものな時がありイメージダウンの原因は多分これ
  • 苦労とは経験、買うとは投資であって、沢山経験に投資して欲しいという意味が込められている
  • 若いほど沢山持てる資産、若いほど利回りのいい投資先があるとすれば、ジャンジャン投資した方がお得ということを表現している
  • 知らなかったことを知るというだけでも価値はある
  • 苦労、大変さを知ることで謙虚さを覚えろとも言っている

若いうちは買ってでも苦労をしろは字面だけで使われがち

そもそも「若いうちは買ってでも苦労をしろ」とは、苦労を買うという意外性を狙ったフレーズとして元々は発生したのではないかと想像します。

「え!?わざわざ苦労を買うの!?」みたいに注目を集めた後に「実は苦労を乗り越えるとこんないいことありますよ」と話を展開させたかったのでしょう。

そんで重要なのがわざわざ買うというところ。買うだけの価値が、その苦労にはあるという意味です。つまり、価値がない、買う必要のない苦労も存在していることが暗示されていると考えられます。

苦労は昔からできればやりたくないことだったのでしょう。でも、闇雲に避けるのではなく価値のある苦労は買ってでも行うと良いことあるぞと言いたかったのではないでしょうか。

苦労という単語について回る話がもう一つあります。それは「苦労は美徳」という話。

ネットで「苦労 美徳」で検索すると結構な情報量が取得できますし、苦労の末の成功話が昔から存在しています。

やはり、昔から苦労はできれば避けたいものだったのでしょう。当たり前です。

この言葉が発生したのが何故かはわかりません。「若いうちは苦労を買って」と同じような意味が込められているのかもしれませんし、支配者階級が便利に用いていたのかもしれません。(個人的には深く考えたことがないフレーズです、、、)

いずれにしても、我々長い間苦労は美徳と刷り込まれている気がします。私も小学生時代にそんなような授業を受けた記憶が微かに残っていますし。

で、「若いうちは買ってでも苦労をしろ」の本質を無視して字面だけで、「苦労は美徳」と配合すると「なんでもいいから若いうちは苦労しろ」というドン引き思考ができあがります。

わかりやすい例でいくと、とにかく雑用をやらされる、改善せずに旧来の方法を強要する、他の人は皆やってきた(苦労してきた)と半ば脅しが入る、などでしょうか。

苦労なんてないに越したことがないわけで、訳もわからず苦労しろなんて横暴もいいところです。

「若いうちは買ってでも苦労をしろ」には、「価値のある苦労にはいいことある」という意味が込められている。少なくとも私はそうだと思っています。

苦労を乗り越えた後に何らかの成長や報酬を示唆しなければ言葉に食い違いが生じます。

確かに年を重ね振り返った時に初めて気付く成長というのもあるので、初めから全てを伝え切るのは難しいことはあります。しかし、少なくとも苦労をしろと伝える相手に配慮した上で使うべき言葉です。

もちろん雑用や旧来通りにやらせることの全てが悪いとは言いません。後述しますが、ともかくやってみるということに価値はあります。

でも、結果を全く考えず苦労しろと言っても、「何も考えていないのかなぁ」とか「面倒ごとを押し付けに来たんだろうなぁ」とか相手だってわかります。

結局買ってまで苦労しろなんて随分都合の良い言葉だなぁとイメージダウンにつながるわけです。

買ってでも苦労しろは沢山経験に投資しろの意

「若いうちは買ってでも苦労をしろ」さんサイドにも問題がないわけではありません。人はネガティブな言葉に敏感です。もう少し本当に伝えたいワードを用いても良かったんじゃないのかと思います。

「若いうちは買ってでも価値ある苦労をしろ」

こっちの方が少しは意味が通りやすかったんじゃね?と思うのです。難点としては若干語感が悪くなるところとインパクトが弱くなるところですが。

「若いうちにジャンジャン価値ある苦労、つまり経験に投資しよう」

「元手は体力、時間、メンタルなど状況に合わせて様々だけど、金銭的なものではなく若いうちにしかない資産をガンガン注ぎ込もう」

技術や知識の習得には基礎練習や学習の反復は大事ですし、逆境と思えるような状況でも一度似たような経験をすると意外とあっさり潜り抜けられることは多いです。

そして、これらをこなす為には体力、時間、メンタル的コストがかかりますが、若い方が豊富ですし、上達は早いのが一般的です。

資産が豊富な上に利回りが良いとくれば若いうちに投資をしない手はありません。

価値ある苦労は買ってでもやった方がいいというのは結構納得できる話ではないでしょうか。

ちなみに、体力や時間が豊富なのはいいとして、メンタル的資産も若い方が豊富なのかという意見があるかもしれません。

私個人は若い方が豊富だと思います。ベテランの方が逆境やトラブルにも動じない、所謂修羅場をくぐった歴戦の猛者扱いされがちですが、別にメンタル資産が豊富なわけではないです。

まさに若いうちに価値ある苦労をしてきた結果、似たり寄ったりの経験があるので面食らったりしない、対処法がなんとなく見えるってだけの話です。

ゼロからスタートなら、若い人の方がメンタルは充実していますし、消費メンタルは少なくて済みます。っていうか、年取ったら新しいこと始めるのが億劫になったとかいう話が出る地点でメンタル豊富じゃないですね、、、

案外なんでも価値ある苦労ではある

少し話は脱線しましたが、価値ある苦労にはしっかり投資しようというのが「若いうちは買ってでも苦労をしろ」の本質です。

では、価値ある苦労って何?って話です。

乗り越えた時に自分自身が望むことに近づきそうかは重要な判断基準の一つにはなります。

が、自分には無価値に思えるものでもやってみないとわからないことは沢山あります。それにやってもないのに無価値と判断するのも時期尚早です。

例えば雑用や古い方式の作業も一度は経験したり、知識として持っておいたりすることには価値があります。

雑用とはいえ必要な作業であれば一通りの流れや全体の中での役割を知る機会になりますし、改善して効率化と先に繋げられる可能性もあります。(ガチもんの無駄な作業の場合は無駄だったという結論は得られますが、ちょっと話が変わるのでおいておきます)

古い方式はバックアップとして役立ちます。極端な例かもしれませんが、システムダウンしたが復旧までどうしても待てない作業がある時、手作業など何かしらの手法を経験していれば凌ぐことは可能です。

一度は経験してみるという点では案外無価値な苦労というのは少ないです。知らなかったことを知れたというだけでも価値がありますし、改善策や解決策のヒントとなるかもしれません。

もちろん、ひたすら雑用だけをやる、システムの問題を無理やりマンパワーで解決し続ける、表計算ソフトにぶち込みゃ終わる事を延々と電卓叩く、とかは、もっと資産というかリソースを注ぎ込むべきところあるだろって話なので無価値といって差し支えないでしょう。

「苦労」には謙虚になれという思いも込められているのかも

散々、価値ある苦労に投資しろが真意と書いておいてですが、実は純粋に苦労しろ、大変さを知れという意味もあるのかなと思っています。

「苦労をしろ」には「謙虚になれ」という思いが込められている気がするからです。

苦労することで周囲の大変さを知ることで相手を慮れるようになったり、苦労している最中に周囲の助けを得ることで感謝の念を抱いたり、苦労することで謙虚さを得られることってあると思います。

ガシガシ苦労することで謙虚さを覚えろよと「若いうちは買ってでも苦労をしろ」さんは言っているのかもしれません。

まー苦労したからといって謙虚になれるとは限りませんが、謙虚でいることを心掛けたい。そう思う日々です。

以上、最後までありがとうございます。

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