営業不要論なるものをよく見ます。
就活ちゃんとやってねーヤツの終着地とか、経験・スキルなしのヤツが行くとことか、客に顎で使われるとか、接待して太鼓持ちして賑やかしてとか、最早ただの悪口みたいなイメージから、なくても困らないと思われているからかもしれません。
AIなど技術の進歩によって、人間が担っていた業務を効率化、自動化できるようになったことも一因でしょう。
しかし、営業は必要な役割で、不要ではありません。
人が決断を下す時、「納得する」という行為は必要で、人を納得させることに関して優位に立つのは、まだまだ人だからです。
ただし、淘汰され消える営業スタイルは存在します。
そして、環境に適応した営業は生き残り、重要な役割を全うしていくのではないかと思います。
ということで、営業にだって適者生存は当てはまるよねが今回のテーマです。
営業とは
ざっくり言えば、営業とは商品やサービスを購入に繋げる仕事です。
唯一無二の商品。広告でよく見る良さそうなサービス。だけど、いざ購入となると躊躇してしまうことってありませんか?
多分、自分の中で納得しきれない部分があるからです。
具体的な使用感のイメージが湧かない、悩みをどこまで解決してくれるのか分からない、よりコスパの良い類似品があるんじゃないかなど、人は納得できなければ購入には踏み切れません。(というか、行動自体ができません。)
購入に繋げる為には誰かが納得できる材料を提示しなければなりません。
しかも、納得できる材料は人それぞれ。欲しいのは一般論ではないことも多々あります。
個別に納得できる材料を準備し購入に繋げてくれる存在が必要になります。
その役割を果たすのが営業です。
似たような役割だけど違うのがマーケティング
商品やサービスを購入に繋げるという意味では同じ役割ですが、対象が違います。
マーケティングは集団に対する調査・分析、商品開発、宣伝活動を行うのに対し、営業は個々に対するそれらを行います。
言い換えるとこんな感じでしょうか。
- ある集団の欲求を満たしそうな商品を企画・認知させるのがマーケティング
- ある集団の個々の欲求や納得感を満たすのが営業
ニーズからずれた商品や宣伝で認知してもらえることはありません。そもそも興味がない集団であれば見てもらうことすらないかもしれません。
そんな問題を解決してくれるのがマーケティングです。
しかし、ニーズを満たした商品を目指すべき集団に認知してもらっているのに購入が想定通りに伸びないのであれば、納得していない人(会社)が一定数いることになります。
そんな時には営業の出番です。
会社や環境によって両方を任されることもあるでしょうし、根本の目的は一緒なので混同されがちです。
でも、それぞれの役割を意識して視点を切り替えると、今とるべき行動が分かりやすくなります。
環境の変化によって淘汰され消えていく営業
営業に限らない話ですが、環境はどんどん変化しています。
技術の進歩で書類作成や在庫案内のような単純作業に価値はなくなり、管理能力や深い理解力など抽象的なものに対して論理的に行動できる能力が求められるようになりました。
働き方改革の名の下に、公正な環境を生み出す流れにもなってきています。
このような変化に適応できない営業は、やがて淘汰され消滅していくことになります。
例えば、日本古来より伝わる(?)パワースタイルな営業がまさにそれです。
古より伝わるパワースタイルな営業
この営業スタイルも、購入を納得してもらうことを目的にはしています。が、納得感の出し方が明後日の方向に向かっているスタイルです。
過剰なサービス、雑務の代行、太鼓持ち、などなど、商品に対して納得してもらうのではなく、購入決済者の小さな欲求を満たすことによる納得感の演出です。
一口で言えば「経営・販売戦略がない」になりますが、背景には行き詰まり感があったのだろうと想像できます。
- 超短期的には一番手っ取り早く売れる
- 市場の成長が止まり競合・供給が過多になった
- 経験上、上手くいっていたという感覚
昔の人が必死で働いなかったとは思いません。でも、昔の人の方が開発・営業力が優れていたのかは疑問です。
作れば売れたという成長期であったことも否定はできないと思います。
事実、日本の人口・経済成長率は共に1970年前後を境にどちらも落ちていきます。(もちろんその後も成長はしていますが。)
因果関係や要因を分析するわけではないですが、1970年前後を境に成長率が落ち始めたのは事実です。
マイナス成長になったわけではありませんが、成長率が落ちているのに変わらない生産・販売計画を立てていたとするなら供給過多になっていた可能性もあります。
作れば売れるという成長期の間に洗練されたマーケティングや営業手法に時間が掛けられていたかは疑問が残ります。
成長率に陰りが見えるとはいえ、1990年前後までは高い成長率を維持していました。現代より蓄えはあったでしょうし、すぐにまた成長率が戻ると信じていたかもしれません。
具体的な打開策があるわけではなく、その場しのぎの方策として、コストゼロ(人件費は変わらないので)の納得感を与える方法がゴリゴリのパワースタイルな営業だったのかもしれません。
顧客の気分を良くすることで、優越感という納得を与え購入に繋げられれば、商品の質や販売戦略をしばらくは放置できます。
パワースタイル営業が誕生した瞬間は、こんな行き詰まった状況だったのかもしれません。(完全に私の妄想です)
なぜパワースタイルな営業は残っているのか
できた経緯の推測が正しいかは別として、パワースタイルな営業は今も残っていることは事実です。
しかも、その営業手法は顧客の自尊心をくすぐる効果はありますが、従業員の消耗や会社の強化には繋がらない、いつかは破綻する手段であることは明白です。
今なお、なぜに存在しているのでしょうか。もしかしたら、次のような理由があるかもしれません。
- 従業員が我慢してくれる限りは、会社にとって楽
- なんとなくそれでやってこれた
- 消耗していた側が、してもらう側に回った
- 企業間の力関係や立場が度を越してしまった
言うまでもなく、会社は楽です。
ストレス耐性の強い体育会系の人材さえ集めれば、育成コストはほぼ掛かりません。
従業員を消耗して、顧客に納得感を与えられれば、いくらかの売上を期待できるでしょう。
購入に繋がった実績が、少なくとも過去にはありました。
実績のあるやり方だと、なんとなく続けてしまっているのかもしれません。これが営業だとすら思っている営業マンもいるくらいです。
若い頃に消耗する側にいた人は、歳を重ねるとともに消耗してもらう側に回ることが多いです。
自分が強いられてきた苦労が急になくなった、ようやく自分の番と思ったのに良い思いができなくなった、というのは受け入れ難いのかもしれません。
売買取引の関係上、選ぶ側と選ばれる側は発生してしまうのですが、度を越した関係性になってしまうことがあります。
結果、主従関係のような図式になってしまい、売上や継続的な取引の為にと、やむを得ず、、、ということもあるでしょう。
もはや限界な営業スタイル
しかし、このような営業スタイルは限界を迎えています。従業員も会社も。
従業員の消耗により維持されているスタイルです。従業員が我慢の限界を迎えれば崩壊するのは明らかです。
消耗していくダメージは蓄積されていきます。
対価の報酬も1990年代後半までは右肩上がりでしたが、以降は下がるか変わらずの状態です。
会社は経営・販売戦略の成長を遂げていません。過去の貯金でやりくりしているところも少なくありません。
人口は減少傾向に向かった今、周囲の成長に肖ることも難しいです。営業に限らず従来のやり方では限界を迎えるだろうと誰もが想像していると思います。
だったら、今すぐやり方を変えればいいじゃんとはならないのが現実で、、、
多分、もう難しいのだと思います。大きな方向転換を耐えられるだけの体力が残っている会社が少ないのだと思います。
資金繰りの問題、大きな企業にぶら下がる利益構造になっている、など決断を下せない状況なのかもしれません。
古のパワースタイルな営業はいずれ無くなるでしょう。
でも、消え去る理由は方向転換によるものではないと思います。
方向転換ができずに限界を迎えた会社が存続できなくなる。その時に一緒に消えていくスタイルなんじゃないかと思います。
そして、需給バランスが整った時に新しいスタイルが確立されるのだろうと感じます。
関連記事:売れない原因は営業にあるか?売れる物は組織全体で作るもの
環境の変化に適応できる営業は必要とされ、生き残る
先ほども書いた通り、本来の営業は必要だと思っています。ただし、その在り様は時代や市場の変化に合わせて変わっていくものだとも思います。
例えば、AIの進化によって、マーケティングのデータ分析も営業の個別対応も自動的にできるようになり、人がその役割を担う必要性が薄れてきました。
人が対応するよりも早く、正確に、煩わしくなく、求めている目的地に到達できるようになりますし、単純作業を高速で終わらせてくれるのだから、当然な流れといえます。
これからの人が行う営業は、事実に基づく分析や書類作成はAIなどに任せ、顧客が納得できる未来を簡潔に提示する能力が必要になるかもしれません。
AIにも提案内容を組み立てることはできますが、仮定が変われば出てくる結果も変わります。現実は顧客の要望や感情は傾向があるにせよ不確定です。
流れの中で仮定はコロコロ変わります。あらかじめ提案内容を機械的に決めることは難しいです。
コミュニケーションの中でのニュアンスや表情から、的確な答えを見つけ柔軟に提案を変化させるのは今のところ人の方が優位性はありそうです。
遠い未来は分かりませんが、今は最終的な決断を下すのは人です。そこには感情があります。
つまり、顧客を本気で納得させることができるかどうかは、まだ人の力にかかっているのだと思います。
今後の営業に求められる能力は上がっていく
古のパワースタイル営業はいずれ奨励していた企業とともに消えていくことになると思います。
そうすれば、営業は公正な立場で仕事ができる環境になっていくでしょう。
同時に営業に求められる能力はどんどん上がっていくのではないかと予想します。
これまでの営業は、過剰サービスや無茶振りに応えられるストレス耐性と体力があれば、他はなんとかなる部分がありました。
しかし、公正な仕事環境を得られるようになれば、必要なのは公正な結果です。そして、結果に基づいた信頼です。
結果を出せるだけの能力をひたすら求められることになるのではと思います。
具体的には、次のような能力は必要です。
- 客観的視点
- 顧客自身が気付いていない潜在的な欲求への気づき
- 複数の未来を提示する展開力
- 仕事の結果を通じて得られるビジネス的信頼感
本来、営業は高いスキルが求められる役割です。
古の営業スタイルに慣れていると、必要スキルの習得はなおざりとは言わないまでも、おざなりにされがちでした。
公正ではない環境に苦しめられていた営業ですが、人によっては、スキル不足に目を瞑ってもらえるという恩恵を得ていた部分も否定できません。
これからの営業は本当に強い者だけが生き残る少数精鋭の世界になるかもしれません。
下表は、総務省統計局のデータ抜粋です。
2016年と2022年を比較すると次のようになります。
就業者総数 | 販売従事者総数 | |
2016年 | 6,470万人 | 856万人 |
2022年 | 6,723万人 | 826万人 |
増減 (%) | 約4%増 | 約4%減 |
このデータだけから、営業の少数精鋭化が始まっているとするのは乱暴ですが、事実として営業人口は減っています。
少なくとも、単純作業や集計だけならAIや機械で十分な話なので以前よりも必要な人員は減っているだろうと想像できます。
企業は労働環境を公正なものに改善していかなければなりませんが、人も変化に合わせて適応していかなければならないです。
まとめ
本来の営業は高いスキルを要求される手応えのある役割です。
自浄作用的なのか外部の影響なのかは分かりませんが、営業を取り巻く環境はどんどん変化していくと思います。
環境の変化にどれだけ適応できるか、必要とされる能力を高めていけるかが、淘汰されるか、生き残るかの違いを生みます。
本当に強い営業だけが生き残る、ある意味過酷な環境に変わっていくかもしれません。
以上、最後までありがとうございます。