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学び

仕事のやりがいは報酬ですと言えないこんな世の中じゃ

やりがいのある仕事がしたい!!

赤提灯が眩しいやきとり屋でジョッキ片手の情景が浮かんできますが、一度や二度は誰しも思ったことがあるんじゃないでしょうか。

じゃあ、あなたのやりがいは?となると、価値観は人それぞれ、答えは色々あると思います。

しかし、「報酬です!!」と答えることだけは憚られている気がします。

やりがいとは高尚なもので、報酬やお金のような下世話なものと一緒くたにしてはいけないという考えが浸透しているからなのかもしれません。

そんな風潮に待ったをかけたい。

超絶個人的な考えですが、如何様に考えようとも仕事のやりがいと報酬は切っても切れない関係なんじゃないかと思っています。

なぜなら、「やりがい」はその活動の目的と結びつくものだと考えているからです。

ということで、今回のテーマはアラフォーおっさんの偏見に塗れた「報酬は仕事のやりがいの大事な要素という考え方」です。

やりがいとは何?報酬は含まれないの?

やりがいとは「遣り甲斐」「やる甲斐がある」と書くわけで、やる価値がある事柄です。

個人の主観にあてはめるなら、「やる価値」とは「自分にとってメリットがある」とも言えます。

個人的なやりがいとは自分にとって損か得かという表現も一つの正しい意味になります。

そうすると仕事の対価として「報酬を得る」ことは、仕事のやりがいに含まれていることのはずになります。

一般論では仕事のやりがいに報酬が含まれていない気がする

一般論では仕事のやりがいに報酬が含まれていない気がする

前述の通り、「やりがい」=「やる価値がある」です。

その人にとって、その仕事を行う価値があるかどうかが仕事のやりがいになります。

ところが、人それぞれ価値観は様々な中で一般的に仕事のやりがいとは報酬のことを指さない使われ方が多いです。

私の偏見かもですが、日本人の美徳としてお金は汚いものとされていて「金銭の為だけに働くこと」「報酬が世間と比較して多いこと」を理由にやりがいがある仕事と言うことは良くないことという感覚がある為な気がします。

その為、仕事における「やりがい」とは「報酬以外にやる価値」があるという本来の意味よりも限定的な扱われ方をしているのではないかと思います。

この「やりがいの範囲を限定的にする」が、仕事にやりがいがない、、、と絶望する人を生む原因の一つのような気がします。

なぜかというと、報酬以外で仕事のやりがいを探そうとすると大枠では達成感という言葉に集約されてしまうからです。

達成感を得られる瞬間は人それぞれですが、いくつか例をあげてみます。

  • 大きな仕事を取ってきた
  • 自分が企画提案した商品が大ヒット
  • 同僚や顧客に必要とされた、あるいは感謝された

大体の人は上記の状況になったら多少なりとも達成感を得られると思います。

でも、一時的です。

時間が経てば評価は忘れられるし、売上が安定してくれば普通の商品として扱われる、周囲が必要としなくなれば過去の感謝は忘却の彼方です。

では、周囲の評価ではなく自分の成長から達成感を得るようにしたらどうでしょうか。

多分、一時的です。

仕事における優先事項は会社の利益であって、個人の成長ではありません。

個人が望む方向に成長できる仕事が回ってくれば両方を得られますが、そんな仕事ばかりではありません。

どんな仕事でも経験や技術は鍛えられていくので成長できない仕事はないと思いますが、「個人のやりがい」=「個人のやる価値」という観点でいくと、望んでいない方向への成長は、その人にとってやりがいにはならないんでない?と思います。

こんな感じで「やりがい」=「達成感」の図式で仕事をしていると、やりがいを感じない仕事の時間の方が長いんじゃないかと思います。

正直に言えば、仕事の目的は個人の達成感ではないので、「つらい」「つまらない」と感じることの方が圧倒的に多いです。

もちろん、報酬の喜びも一瞬で終わってしまうものですが、将来への不安を少し和らげてくれることがあり、間接的かもしれませんが達成感より長期的視点の感覚を持つことができます。

この報酬の効果を無視して達成感だけにやりがいを見出そうとすれば、仕事にやりがいがない、、、と思う人が多くなるのも仕方ない気がします。

その達成感(もとい、やりがい)は報酬の為じゃなくて?

その達成感(もとい、やりがい)は報酬の為じゃなくて?

なぜ、仕事を取ってきたら、自分の企画が大ヒットしたら、周囲に必要とされたら、成長できたら、達成感を得られるのか。

地位向上、影響力増加、承認、そして報酬の上昇といった欲求を満たすことができるからじゃんと思います。

なんか俗物的な響きですが、全く悪いことではないと思います。

自分の思い通りに気持ち良く仕事を進められることはなく、自分に我慢を強いる瞬間がたくさんあるのに、対価を求めたら汚いとか卑しいとかってあんまりです、、、

頑張ったんだからご褒美くれよと思います。

仕事である以上、「やりがい」(=「やる価値」)には対価として報酬が含まれていて然るべきです。

「報酬」を切り離して「やりがい」を見つけようとすることは必要な要素を無視した行為になるわけで、仕事にやりがいがない、、、となってしまうのは仕方ないことだと思います。

個人の報酬だけに焦点を当てるからおかしくなる

個人の報酬だけに焦点を当てるからおかしくなる

「やりがい」に「報酬」を含んで考えることに否定的な考えを聞くことがあります。

気持ちは分からんでもないです。

現代社会では、お金があれば多くのものが手に入ります。

あまりにもお金に執着してしまうと悪行や不当な報酬の要求につながることも考えられます。

だからなのか、個人の報酬を追求せず他者や社会の為に働ける人を清貧の人だと嘯く話をよく耳にします。

でも、それは極端すぎね?と思います。

悪行を働いたり不当な報酬を要求したりすることと、正当な報酬を欲する行為は全くの別物です。

誰かの為になることにやりがいを感じて仕事をしている人はいます。

自分のことだけでも大変なことが多い中で、周囲の為にも行動を起こせる人には頭が下がります。

でも、その人は報酬を全く考えていないのかというと、個人的には違うんじゃないかなと思います。

個人の報酬だけでなく周囲の人の地位向上や報酬も含めた全体の報酬のことを考えているのではないかと思います。

少なくとも現代社会では生きる為にお金は必要で、お金を稼ぐことができなければ自活できないのは事実です。

周囲の人のことを思っている人ほど正当な報酬を要求している気がします。

重要な点は、周囲の人の報酬にも好影響となるような求め方をしている点です。そして、全体が自活できる環境を作りだしています。

そして、正当な報酬を得る為にも質の高い仕事を継続しています。

これらの行為を金儲けに執着している不当な行為だと糾弾する人はいないんじゃないでしょうか。

勝手な予想ですが、周囲の為になるよう仕事をしている人の「やりがい」には「報酬」がしっかりと含まれているんじゃないかと思います。(繰り返しになりますが、個人の報酬だけの話ではないです。)

さて、自分のことで手一杯なありふれた仕事の話に目を向けてみます。

周囲の人の為とはなりませんが、個人の利益の為だけに仕事をしているわけではありません。

会社や取引先など利益やサービスを得ている存在はちゃんといます。

んで、会社や取引先に利益をもたらすことができれば、狙ったわけではなくとも間接的に多少は同僚や取引先の従業員の利益にもつながります。

個人の利益だけに焦点を当てるからややこしくなるだけで、きっちり仕事をこなした上での報酬は周囲に好影響を与える結果につながります。

仕事のやりがいは報酬」は何も後ろめたい考えではないんじゃないかと思います。

っていうか、単純に報酬や対価を要求することが良くないことだとすれば、会社の存在そのものが良くないことになります。

会社は利益を出すことで経済を回したり、新たな雇用を生み出したり、会社単体の利益以外に周囲への好影響を直接的ないし間接的に与えています。

犯罪や不当行為を行なっていない経済活動は、何らかの形で誰かの役にたっています。

「やりがい」と「報酬」を切り離すからやりがい搾取が起きるんじゃね?

「やりがい」と「報酬」を切り離すからやりがい搾取が起きるんじゃね?

現実に起きている問題として、「やりがい」と「報酬」を切り離したやりがい搾取があります。

ご存知の通りやりがい搾取とは、働く側の熱意を利用して過酷な労働条件を強いながら見合った休息や対価、報酬を与えないことです。

働く側にとっては、「夢だった仕事ができる」「ステップアップして夢を掴みたい」という喜びや期待を本来の報酬とすり替えられてしまっているとも考えられます。

もしも、アメリカンドリーム的な成功や将来の安定の確約があるなら、職業選択の自由だなぁと理解できる部分はあるのですが、やりがい搾取には存在しません。

極端に長い労働時間など別の問題もあるので一面的な見方は避けないとですが、正当な報酬がもらえないことで、生活の困窮や将来の不安定さに苦しんでいる人がいるのも確かだと思います。

そんなわけで、「やりがい」と「報酬」を切り離すことには多少なりとも問題がある気がします。

というか、昔の話をすれば報酬は右肩上がりでした。

「やりがい」と「報酬」を切り離して考えても、自動的に「報酬」はくっついてきたので、それぞれを別物として考えても成立していたのかもしれません。

賃金に関する資料そのものを引用していいのかが分からないので下記リンクで確認がとれます。

厚生労働省 ― 令和5年版 労働経済の分析

そろそろ、仕事のやりがいは報酬です。と言える雰囲気が欲しいところです、、、

目的によって「やりがい」は変わるもの

目的によって「やりがい」は変わるもの

活動の目的が変わればやりがいも変わります。

そして、やりがいは活動の目的と関連性があると思います。

ある活動が存在する理由は、その活動に果たすべき役割や目的があるからで、個人のやりがいに左右されることはありません。

目的が方向性を変えることがない以上、やりがいがある程度同じ向きになっていないとやりがいを感じる瞬間はほぼ来ないことになります。

仕事は利益を求めることが目的ですし、個人で言えば生計を立てることが目的です。

ボランティアやチャリティー活動は人助けや環境改善などが目的です。

利益を求める、生計を立てるという物欲的活動の仕事に対して、清廉さや達成感といったやりがいだけと求めるのなら、つらい作業や責任などはただの負担にしかなりません。

ボランティア活動に励みながら「やりがいは報酬です!!」って、そのボランティア活動は大丈夫なのかと心配になります。

ある程度仕事の目的に適ったやりがいとして、報酬を含めた方がいいんじゃね?と思う理由の一つです。

もちろん、夢や希望があってその仕事を選ぶことも素晴らしいことです。

その仕事で食っていく」=「 収入をあげなければいけない」ということも忘れてはならないんじゃないかなと思います。

まとめ

ずいぶんとお金、お金と物欲に塗れた内容でしたが、決して意地汚く行こうぜというつもりはありません。

ただ、なぜ仕事をするのかと考えた時に「報酬」というものは切っても切れないんじゃないかなと思います。

日本ではお金を求めるということに対して、少し嫌悪感が強すぎる気がしないでもないです。

仕事のやりがいは報酬です!! って言ったていいじゃない!!

以上、最後までありがとうございます。

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