結論から話すと、個人の予想や解釈が入り込む余地がないから答えや目的を明確に共有できる。
というのが、映画のストーリーを楽しむ中で得た個人的知見です。
今回の話は個人的な思い出話なのですが、言いたいことは4つです。
- 結論から話すことに腑が落ちない理由は自己都合を優先している場合が多い
- わかりやすさを求める時には結論から、結論に強い印象を持たせる時には過程から
- 好きなことならいくらでも思考ができて、得られる知見は幅広い分野に活かせる可能性がある
- 自分なりに得た知見は、大きな原動力になることがある
ビジネスの場において結論から話すことは大事なスキルの一つだと言われています。しかし、私はなかなか理解をすることができなかったのですが、映画が与えてくれた気付きによって、なんとか今も仕事ができています。
趣味とか好きなことってストレス発散以外の効果もふんだんにあるようです。
結論から話すが腑に落ちなかったあの頃
ビジネスの場において結論から話をすると短時間で情報を共有できる。わかりやすい話をするには結論から。というのが専ら言われていることで、私自身も今はその通りだなと感じています。
「今は」と強調しているのは、20代の頃は腑に落ちていなかったからです。
結果だけでなく過程も踏まえて判断して欲しい。悪い結果の時は結論から伝えると「なんで!?」と怒鳴られる。当時の私には釈然としない出来事が色々あったので、結論から伝えるって本当にわかりやすいの?自分にとって何かメリットあんの?と盛大に勘違いをしていました。
今なら当時の状態はよろしくないなと理解できます。
- 過程も見て欲しいというのは自己都合で、わかりやすい話かどうかとは関係ない
- 相談や報告の頻度が適切ではないので、唐突な結論を話している
- 結論から話すだけでわかりやすい話になるわけではない。
- 普段のコミュニケーションや立ち振る舞いが受け手に影響してくることだってある
- 話を端的に伝えることは巡り巡って自分の評価につながる
振り返れば、自分自身が反省すべき点は多々あります。上記の通り、基本的に自己都合だけで動いていると結論から話すことが上手くできないことが多いです。
もちろん、上司は部下が話しやすい環境を作らなければならず、感情的になったり、急かしたりしてはいけません。そういう意味では当時の上司にも問題がなかったとは思いません。(大変お世話になった方なので今もとても感謝しています)
と、今となっては考えることは色々あるのですが、とにかく当時の私は自分の落ち度もあり、結論から伝えることのメリットを感じられないまま、上司の「結論から」という指示に従い渋々結論から述べるように努めていました。(といっても、結論から話す習慣が身に付いていない上に仕方なく結論からといった態度なので、できていたとは思えませんが、、、)
思い出の映画を振り返った時に得た気付き
突然ですが、映画を見るのが昔から好きです。特にラストが思いがけない結末になるようなものをよく見ます。
「セブン」や「ファイトクラブ」で有名なデビッド・フィンチャー監督の「ゲーム」という映画が妙に思い出に残っていたりします。
ネタバレになるので詳細は避けるとして、初めて見た時には何とも言えない驚きと奇妙な感覚になったことが懐かしい。
で、きっかけは忘れてしまいましたが、なんで予想外の結末を体験できるのかなと、ふと考えたことがありました。私なりの答えとしては以下の通り。
結末のわからないストーリーは、その過程で得られた情報を頼りに自分で予想や解釈を行うことで勘違いが生まれ思いがけない結末に出会う。
何を当たり前の話でと呆れられそうですが、私にとっては結論から話すって大切なのではという気付きにつながります。
結論無しに過程から話してしまうと勘違いが生まれるんじゃないか。逆に結論を知っていれば、その後に続く過程に含まれた意図にも気付きやすくなるのではないか。急に結論から話すことに前向きな思考を持つことができました。
結論から話すことに前向きになると急に視界が変わり出す
- 自分が結論だと思っていることは結論ではないのかもしれない
- 悪い結果を結論から話した時に「なんで!?」と怒鳴られるのは、上司にとっては予想外の結論であり、それまでの日々の過程から別の結末を予想していたかもしれない
- 日常のコミュニケーションや相談頻度・タイミングを変えると違う受け取られ方になったかもしれない
- 結論から話すにしても伝え方は何通りかあるので、伝え方を変えてみるといいかもしれない
という感じで、結論から話すことを前提に自分が変われることは何かと前向きに考え始めるようになりました。
前向きに考えると案外すんなり事は進みます。少しずつ結論から話すことができるようになりました。
結論から話すが徐々にできると使い分けを考えるようになる
結論から話すと個人の予想や解釈が入る余地がなく勘違いが生まれにくいのは先ほどの話の通り。では、逆に過程から順を追って話すことには有用性はないのかと考えるようになりました。
ここでも映画が気付きを与えてくれました。
デビッド・アンスポー監督の「ルディ」は好きな映画の一つです。ネタバレ防止で詳細は避けるとして、過程を知ることによって結末で大きく心を揺さぶられる内容です。
正直、結末は割と容易に想像がつくのですが、ストーリーが進むにつれて自然とその結末が訪れるように応援してしまいます。ストーリーに引き込まれ、感情が動かされているのです。
結論から話すとは、情報を端的に渡すことです。余計な味付けをしない分、結論自体に強い意味がない限りは結論に引き込まれるようなことはありません。
しかし、背景や過程などのストーリーがあると、ただの情報だった結論に共感や感動などの感情を呼び込む力を与えることができます。
で、仕事で活用できる場面としては、営業や提案など相手の感情を動かしたい時が考えられます。
もちろん、「まずは結論から」とはなるのですが、結論自体はささっと済ませてしまって、背景や理由など何故その結論に至るのか。望ましいのか。というストーリーに注力することで、結論により強い印象を与えることができます。
何かの判断を下す時、人は情報だけではなかなか動きません。自分なりの納得感が必要で、その要因は感情が動いたかどうかです。
これも当たり前の話なので、偉そうに主張するようなことでは全くないのですが、やはり自分が好きな映画を通じた理解なので妙に腹落ちしています。
自分が好きなことから学んだことは原動力になる
好きなことって単純に楽しいですし、爽快です。
しかも、好きなことならあれこれ思考することに苦痛は感じません。
なぜ楽しいのだろう?どうすれば上手くなるだろう?もっと知識を付けてみたい。
そこから得られた知見や経験で、仕事や日常で活かせるものはきっとあるはずです。
そして、好きなことから自分なりに得た知見が本質に及ばない程度の理解だとしても、より強い原動力になるのなら、それを頼りに走り出してもかまいません。
方向性が間違ってなければどうにかなりますし、動いてみないと本質がわからないことって結構あります。
当時の私なりに考えた「結論から話すことの意味」というのも、所詮は浅い理解です。でも、とりあえず走ってみた結果良い方向に行くはできたと思うので、それはそれで良かったのかなと思います。
以上、最後までありがとうございます。