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学び

冷静に考えると「違う意見」にはありがたみが沢山詰まっている

様々な意見を柔軟に取り入れた方がいいというのは至極真っ当な話。なのですが、自分と違う意見を聞くって結構難易度高めです。

感情抜きで議論ができないとか、言い方が悪いとか、原因は色々あるとは思いますが、根本的に否定されている感がするからっていうところに問題があるのかもしれません。

そうだとすれば、違う意見そのものは案外見ていないのかもしれない。

冷静に違う意見ってヤツを見てみると、俺たちのことすげー考えてくれているありがたみの塊みたいなヤツだったと気付く機会を失っていたのかもしれない。

違う意見はありがたい存在だ。そんな認識になれば負の感情が薄れ、新しい発見とか、建設的な議論とかに繋がらないかぁというのが今回の趣旨です。

ざっくりまとめると次の内容です。

  • 意見を肯定してもらえることは嬉しい
  • 一方で肯定だらけになってしまうとバランスが崩れたり、思考が硬直したりする
  • 何事もバランス良くが大事であり、違う意見にも触れる機会は大切だ
  • とはいえ、違う意見に感情的になることもあって素直に聞くことが難しい
  • ならば、違う意見に内包される「ありがたみ」に目を向けてポジティブな感情が持てれば少しはマシになるんじゃないかと思う
  • 時と場合、内容によっては違う意見といえどありがたみが感じられないものもあるので取捨選択できるようにしたい

違う意見のおかげで自分のペースで楽しめる

映画とか本とか趣味とかお店とか自分のおすすめに共感してもらえると嬉しいです。「あの作品見たよ」とか、「あのお店良いよねー」みたいなリアクションをもらえるとテンション上がります。

もちろん人それぞれ意見や好みは違っていて、私のおすすめに興味がない人もいれば、好きじゃないという人もいるわけで、自分の嗜好を押し付けようという気はさらさらありません。っていうか、私の紹介の仕方が下手すぎて興味を持たれていないだけかもしれませんが。

ただ、同志が増えるというのはやっぱり嬉しいもので、日々同じ属性の沼に沈めてやろうと目論んで布教活動に勤しんでいます。

一方で、みんながみんな同じ属性の意見や好みを持っていると落ち着いて好きなことに没頭できない可能性は否定できません。

例えば、お気に入りの飲食店を皆が「ここ最高」って感じるようになると常に満席で自分が楽しむ番がなかなか回って来ないだとか、良いと思っている商品が超人気になると入手困難なSSRと化してしまうだとか、尖った仕様が売りのサービスが世に浸透することで大衆受けするマイルドなものになってしまうだとか。

製作者やお店サイドからすればめちゃくちゃ余計なお世話ですが、いちユーザーとしては「ちょっと残念」と感じてしまう現象ってあるよなって思います。

おすすめを良いと思ってもらえる、肯定的な意見は嬉しいけれど、意見や好みが人それぞれ違うおかげで、皆が程よく自分のペースで楽しめる、需給バランスが取れてるんじゃねって思うのです。

違う意見のありがたみ

で、何が言いたいのかというと、違う意見のありがたみです。

先ほども書きましたが、意見の肯定って嬉しいじゃないですか。おすすめを良いと言ってもらえる、提案に同意してもらえるのって、自分を認めてもらったような気がするし、達成感があるし。

なので、ついつい肯定側の意見を探してしまう。でも、バランスは何事も大事で、違う意見にも触れておかないと思考が硬直化してしまう。肯定の世界が全てと考えてしまう。そういう可能性はあると思うんです。というか、SNSなどでそういう現象を実際に観測しますし。

とはいえ、違う意見を素直に受け止められるかというと難しい場面は多いです。討論や議論の場など、趣味嗜好の話のように個人の自由と割り切れない場面では特に強い傾向があると思います。

意見交換は感情と思考を切り分けて聞くことが大事ですが、人にとって感情は重要な感覚でもあり、重要な感覚をあえて排除できるようにするには相当な修行が必要です。感情が絡む問題は大体なんでも難しい。

なので、私の場合は「違う意見のありがたみ」という観点で受け止め方を模索していけば、ポジティブな感情になって多少はマシにならないかと考えています。

例えば、「違う意見」には次のようなありがたみを感じることが私は多いです。

  • 需要の多様化
  • より良いアイディアの発見
  • 思いがけない知見
  • 相手の意思確認

○需要の多様化

需要の多様化というのは、前項にも書いた通りです。

異なる意見や興味のおかげで、多岐にわたるジャンルで産業や文化などが発展していくというありがたみ。これは一定数の覚えがあるという人はいると思います。

自分とは違う嗜好があることで、新しい興味に繋がったり、上手く融合することで新しいジャンルが発生したりすることもあります。

○より良いアイディアの発見

完全無欠なアイディアを捻り出すのは尋常じゃなく難しいです。少なくとも私には無理なので違う意見はありがたい。

多様な意見を上手く組み合わせれば、より良いアイディアの発見につながるかもしれません。

もちろん衝突や摩擦が発生する可能性はあって、良い気持ちになれない時もあるかもしれません。でも、それは短期的な話であって、長期的に考えればより良いアイディアを発見できる方がお得だと私は思います。

○思いがけない知見

知見なんてなんぼあってもいいですからねー。ありがたいですよー。

一方で、自分で勉強できる時間には限りがありますし、学習領域は自分の興味に偏りがちです。

違う興味や視点を源泉とする違う意見は、自分一人では得られなかった知見を得るきっかけになるかもしれません。

表面的な情報だけかもしれませんが、一人で勉強するより簡単に知見が手に入るかもしれないって、違う意見のありがたみすごくないですか!!

○相手の意思確認

相手がどんな意見を持っているかを知れるのって本当にありがたいです。

例えば、組織においては、AとBの二つの意見があったとしても「今回はAで」と決めてしまわなければいけない瞬間はあります。もしBと考えていたメンバーがいれば、Bという結論は出せなくてもケアすることは可能です。

相手も率直に意見交換できる環境を整えるというのが大前提ではありますが。

それに、相手の考え方や好みがわかることもあり、今後の関係性や議論の進め方に好影響を与えるきっかけになるかもしれません。

違う意見を知ることで得られる利点は他にも沢山あると思います。違う意見ホントにありがとう。

全ての違う意見を尊重しているわけではない

違う意見に感謝感激が尽きないという気持ちに嘘はありません。

だからといって、全ての違う意見を尊重しているわけではないのも事実です。

場にそぐわない意見、個人を攻撃する意見、罵詈雑言。

意見の内容によって対応は変わりますが、スルーするなり、真っ向から否定するなり、全く違う行動を選ぶことはあります。

どんな意見であろうと掟破りの意見にはありがたみを感じないわけで、そんな意見まで尊重できるほど器が大きくありません。

関連記事:華麗にスルー 人の話を真に受けないで受け流すと少し楽に生きていける。

また、ありがたみを感じることでも議論全体で考えると一旦置いておいた方が良い意見なんかが時にはあります。

議題によって、まず決めなければいけないことがあったり、時間制限があったりします。議論の目的に沿った意見交換は必要です。

とはいえ、ありがたみを感じる意見は大事にしたいので、興味があることを示しつつ場所を変えてから深掘りを提案してみます。

何事も偏りはよくないです。肯定ばかり求めるでもなく、違う意見を尊重しすぎるでもなくバランスを大事にしたいです。

以上、最後までありがとうございます。

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