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学び

怒りを人の為に使うなんて勿体無い。自分の為に使えば原動力になることもある。

怒りという感情。基本的にはネガティブに捉えられることが多いですが、人間生きてりゃどうしたって怒りが沸々と湧いてくることはあります。

理不尽に直面したり、不当な扱いを受けたりすれば怒りたくもなるでしょう。

きっと誰でもそうです。それ自体は当たり前のことです。

ところで、その怒りを何に使っているでしょうか?

荒々しい言動を取ってしまうとか、不貞腐れてしまうとか。人間だもの気持ちはわかります。

怒りをむやみ発散しては周囲との軋轢が生まれるとなんとか怒りを抑制しようとする。怒りの中でも冷静さを失わないのって凄いことです。

でも、ちょっと待ってほしい。その使い方は勿体無い気がしてなりません。

なぜなら怒りを自分以外の為に使っても得になることなんてないけれど、自分の為に使えば原動力になってくれるからです。

ということで、ざっくりまとめるとこんな内容です。

  • 怒りを発散するだけでは悪影響だけれど、抑制するだけでは得することはない
  • 怒り自体には大きなエネルギーと持続性があるという特性がある
  • 怒りの特性は原動力となる可能性を秘めている
  • 怒りが原動力になる可能性を初めから否定せず、考えてみてから抑制したって遅くはない

怒りを人の為に使うのは勿体無い

怒りを人の為に使うとは、怒りが持つエネルギーを頭から外向きに使ってしまうことだと考えています。

この場合、大抵陸な結果になりません。

露骨に態度に出してしまうとか、声を荒げるとか、不貞腐れてしまうとかはわかりやすい怒りの外向きな使い方です。

怒りのエネルギーを発散させようとして感情的な態度を取れば、瞬間的には怒りが鎮まるかもしれません。

しかし、当然ですが周囲の軋轢の原因になりえますし、最悪誰かを攻撃するようなことになってしまえば自分自身がただの悪党になるだけです。

はたまた怒りを抑制することはどうでしょう。一見すると冷静さを保ち、無用なトラブルを避ける自分が損しない為の手立てのように見えます。

しかし、怒りという大きなエネルギーを抑制する為には自身のリソースを消耗しなければなりませんし、怒りの原因になっている損失を自分が被ったままです。

自分の為でないとは言わないまでも、どちらかと言えば周囲へ配慮している状態といえます。

怒りは自分にとってネガティブな事象によって引き起こされているのに、怒りのエネルギーを自分の為に使わないなんて勿体無いにも程があります。

確かに怒りによって悪い結果を招くことはありますが、それは怒りを使う方向が間違っているだけです。怒りが持つ大きなエネルギーまで否定する必要はありません。

怒りを自分の為に使うことができれば、大きな原動力となってくれるはずです。

怒りは持続可能な原動力になり得る             

怒りに限らず感情は人を動かすエネルギーを内包しています。

その中でも怒りは大きなエネルギーと持続性を併せ持った性質があり、大きな原動力となる可能性があります。

いわゆる喜怒哀楽に感情をわけて特性を考えてみます。

喜と楽という感情も原動力になります。

好きこそ物の上手なれと言いますし、達成感など前向きな気持ちは次の行動の原動力となってくれます。

しかし、持続性という点においては微妙です。

人生山あり谷あり。良いことだけが続いてくれるなんてことはそうそうなく、難しい局面が訪れることもあるわけで、そんな時に上手く機能してくれるかは疑問が残ります。

仮に良い時が続いたとしても環境に慣れてしまうのが人間です。いつしかそれは当たり前になり、喜や楽という感情を持てなくなるかもしれず、持続性があるとは言えません。

哀はどちらかと言えばブレーキになるエネルギーを持った感情です。

悲しい時に前を向こうなんて気になりませんし、行動する気力が湧いてくるかと言われれば難しいというのが正直なところでしょう。

ポジティブに捉えれば、屈んで力を溜めるとか、自分を見つめ直すとか、次の行動を考えることができる期間とは言えますが、即行動につながる原動力とはならないでしょう。

で、怒り。

怒りが大きなエネルギーを持つということに疑いを挟む余地はないと思います。方向性の正しさは別にして、人をあれだけ突き動かせる感情は他にありません。抑制しようとしても、あれだけ気力体力を消費する感情は他にありません。

そして、持続性という点でも優秀です。短中期的に見れば、怒りの原因を取り除かない限りは怒りという感情は燻りながらも残ります。ふとした瞬間にいつでも怒りのスイッチを入れることができます。

もちろん、いつまでも怒りの感情を持っていては心身に悪影響です。自分自身でコントロールする必要はありますし、その辺脳と体は承知しているので、余程の怒りでない限りは記憶に残らないようになっています。人間って凄い。

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ということで、怒りという感情の向け先を上手く調整しさえすれば、持続可能な大きな原動力になってくれる可能性があります。

ただし、大きなエネルギーを持っている分、扱いを間違えれば自分自身に相当な負担になりますし、怒りを向ける方向を間違えれば周囲や自分を傷つけるだけの刃と化してしまう危険性があることを忘れてはなりません。

怒りを原動力にする為に心掛けること

しつこいですが、怒りの取り扱いは注意が必要です。

自分の原動力になるような使い方にはコツがあります。

○怒りのエネルギーを感じ取る

怒りのエネルギーがどの位大きいかを感じ取ります。

怒りが内包するエネルギーは自分が想像するよりもずっと大きいです。理解せずに行動すると怒りのエネルギーに振り回されて、普段ならよしとしない結末に行き着いてしまうかもしれません。

過去の怒りの経験からの推測や衝動的にやってしまいそうなことを言語化してみると、怒りの大きさやどの位自分が振り回されそうになっているかが可視化できます。

○自分の損得を考える

損得勘定ができていないと言い聞かせながら自分の損得を考えます。

怒っている時は冷静さを欠いているもの。そんな状態で損得勘定なんてまともに機能しません。

燃え盛る怒りの炎に自分は見落としているかもしれないという冷や水を掛けることで自分の思考に対する不安が一抹でもよぎります。

少しでも感情的な思考に不安が混ざってくれればだいぶマシです。「感情的な振る舞いは損かも」「怒りを沈めるだけでは得にならないかも」といった可能性を考えだします。

さらに「もしかしたら他に得になる道があるかも」とまで考えるようになったら儲けものです。

○正当な方法でぎゃふんと言わせる方法を考える

正当な方法で怒りの原因にぎゃふんと言わせる方法を考えます。

怒りを原動力に変換するのに直接影響を及ぼす工程です。

実績や出世といった成果かもしれないし、自分の立場を変えることで仲良くしておけば良かったと後悔させることかもしれない。怒りの原因に正攻法でぎゃふんと言わせてーという考えを持ってみます。

多少、不純でも邪でも黒い自分がいたって構いません。心穏やかでなくとも、きちんと外面を整え実際の行動が正当なものであれば構いません。

怒りがあるから見返したい、後悔させてやるという気持ちが生まれます。そして、見返す為には周囲が認める手段でなければいけません。

結果的に自分の成長や新しいアイディアなど生産性のある結果を求めることになり、怒りが持つ力を原動力に変換できます。

怒りには想像以上の力があります。だから、その力の向きを間違った方向に向けてしまうと想像以上に悪い結果が生まれたりします。

だったら間違った方向に行く前に抑制してしまおうという考えも凄くわかります。

でも、せっかくだったらそのエネルギーを原動力にしてしまおうというマインドを準備しておいて損はありません。

行動の前に一旦考えてみる。「あ、これ感情に振り回される」ってなったら冷静に抑制すればよい。原動力になったら儲けもん。こんな考えを持っておけば少しは怒りに対する見方が変わるのかなあと思います。

以上、最後までありがとうございます。

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