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学び

「よそはよそ、うちはうち」は人生で大事なことを端的に言語化してくれている

「よそはよそ、うちはうち」という言葉。

昔は子どもが駄々を捏ねて親に怒られる時の定型句の一つ程度にしか思っていませんでした。けれども、大人になって深い意味があったのでは?と思うようになりました。

ざっくりまとめると、

  • 「よそはよそ、うちはうち」は他人と自分が違うことを端的に表していて、他人を100%理解することはできないし、理解してもらえないこともあれば、噛み合わないこともあるのは当然と気づかせてくれる言葉
  • 時には他人の言動はノイズになってしまう場合もあって、割り切って「何も考えない」というのも選択肢の一つ
  • もちろん、まずは他人の話に耳を傾けるべきだけれど、ガチガチに受け止めてしまって苦しくなるなら、「よそはよそ、うちはうち」と受け流してしまう時があっても良い
  • 何が何でも我を通さなければいけない場面なんて生きていてそう多いものではない

他人と自分は違うという割り切り

「よそはよそ、うちはうち」は他人と自分は違うと潔く割り切る考えを端的に言語化しているのでは?と思うようになりました。

他人と自分に境界線を引ければ他人に振り回されることは少なくなるんじゃないかなぁ。無用な諍いを避けられる場合があるんじゃないかなぁ。といった具合です。

実際、「よそはよそ、うちはうち」って大事だよなぁと改めて考えるようになったのも無用な諍いや怒りに振り回されたことがきっかけでした。

自分の考えを理解してもらえなかった、考えが噛み合わなかったとしても、自分なりの理由があるにせよ何がなんでも押し通そうとするほどのものではありませんでした。

以前と今回で発言に違いがあっても、冷静に発言の振り返りや認識のすり合わせを行えばいいだけで、相手に喧嘩をふっかけられたって乗る必要はありませんでしたし、まして自分がふっかけるなんて以ての外でした。

真になすべきことは何か、真に自分にとって良いことは何よ?って話です。

もちろん時と場合にはよるでしょう。有無を言わさず我を押し通さなければいけない時があるにはあります。

でも、そういう状況は極僅かです。やるかやられるか、本当に戦わなければならない深刻な場面くらいのものなんじゃないかなぁと。

結局のところ他人と自分は違います。考え方、気分、置かれた立場や環境や条件、何もかもが違います。

他人と自分を比較したり、どちらかの型にはめようとしたり、それらに意味や実現性を認めている方がおかしな話だろうと。

他人と自分は違うのだから「何も考えない」というのも選択肢

ところで、「よそはよそ、うちはうち」に込められた意味となんか似ているなぁと感じた言葉に、ある人が放った「何も考えない」というものがあります。

その人は自分の限界を認め、自分ができることだけに集中すると割り切った人でした。泥臭い作業や見ようによっては人に媚びた行為でも自分にできることならば何でもやりました。

側から見ればカッコ良くないと思われるかもしれない、そんな気持ちにどう折り合いをつけるの?と訊かれる時もありました。

そんな時は「何も考えない」と一言だけ返答していました。

その人の真意は定かではありません。ただ、私なりの解釈は「周囲からのノイズを無視する」という意味だったんだと思います。

要は「よそはよそ、うちはうち」ということだったのかなと。

他人は自分ではありません。自分がどういう経緯で決心したのか、どれだけ苦悩したのか、ヒーローみたいになりたいけれど現実はそうではないと認めた時の絶望感とか、他人には知る由もないことです。門外漢からの雑音に気を取られる必要はどこにもありません。

確かに他人から向けられる視線や言葉が全て心無いものというわけではないでしょう。それぞれの経験や知識の基、助言や諦めるなと励ましてくれるものはあります。しかし、その経験や知識は自分には知る由もないことです。

他人は上を目指せると思ってくれている。それは有難いのだけれども、実際のところ他人とは知見も能力も何もかもが違います。現実は定かではありません。

時には優しく温かい言葉に決心が揺らいでしまうかもしれません。けれど、優しい言葉をいくらもらっても現実は変わりませんし、熟慮の末に無理と判断したのなら、多分現実は厳しいのだろうと思います。

他人は他人、自分は自分です。他人の評価や意見は時としてノイズでしかなく、気にする必要はない。何も考えない。そういう時があってもいいでしょってことだったのかなと思います。

聞く耳と受け流す姿勢を併せ持つ

もちろん他人の話に耳を傾けるべき時はあります。

言われるうちが花という言葉の通り、本当にどうでもいい人や関わりたくない人にわざわざ声を掛けません。何かしら関心があるからこその言動です。まずは耳を傾ける姿勢を持ちたいです。

しかし、根底には「よそはよそ、うちはうち」はあって、受け流す姿勢を持っておくのも大切です。

あまりにも真正面からしっかり受け止めてしまうと、決断に迷いが生まれたり、意見が衝突したりしてしまうかもしれません。

他人の真意や経験を完璧に把握はできませんし、同じことだってできません。そして、他人もまた然りです。

「よそはよそ、うちはうち」と考えておけば、他人の意見と合わないからといって気にならないでしょうし、常に自分の考えを理解してもらおうなんて思わないでしょう。

何が何でも押し通らないといけない場面なんて、戦いになっても構わないと思えるくらいの大事以外ないはずです。

以上、最後までありがとうございます。

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○帰国後に起業しました。
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