ざっくりまとめると、
- 「もっと早く始めていれば」と思ってしまうことって結構あった
- けれども、「昔の自分」には単に始める為の用意が整っていなかっただけでは?と思うようになった
- 子育てを通じて、子どもは本当に可愛いし、若いお父さんのように一緒にもっと遊んであげられたらなぁと考えていたが、よく考えると「昔の自分」に親は務まったのか?と考えたことがきっかけ
- 結局、今できること、感じられることは「今の自分」だからであって、「昔の自分」が同じようにできたかはわからない
- むしろ、色々な経験や知見を得られた今だからこそ、意味や重要性を理解し真摯に向き合えるのではないかと思う
- 始めるのが遅かったなんてことはなくて、今こそ自分が始めるタイミングだと思う次第です
「もっと早く始めていればよかった」って実は違うかも?
たまに、「もっと早く始めていれば」「あの時こうしていれば」と、どうしようもないことを考えてしまう時があります。
例えば、15年前にビットコインを買っておけば億万長者だったなぁとか、学生時代にもっと必死で勉強しておけば選択の幅が広がってたんじゃないかとか。
まぁ、今更どうにもならないことばかりなので、正直かなりくだらない妄想だという自覚はあります。
それでも、ぼんやりと「もし、あの時こうしていれば、今頃違う景色を見ていたんだろうなぁ」みたいなことを考えてしまう瞬間ってないですかね?
割と私は考えていました。
ただ、最近になって、少しだけ考え方が変わってきました。
当時やらなかったこと、選ばなかったことって、単に怠けていただけだとか、勇気や根性が足りなかっただけとかではなくて、実は「その時の自分には無理だった」だけなんじゃないかと思うようになりました。
ビットコインの話なんか典型的で、今だから値動きやその後の盛り上がりを知っているわけで、当時の自分が同じ情報を持っていたわけではありません。
仮に存在を知っていて勢いに任せて買っていたとしても、途中の暴騰や暴落に耐えられず、どこかで手放していたでしょう。
当時の私は、そもそも長期的視点で資産運用できるほど、精神的に成熟していなかったと思います。あ、いや、今もか。
学生時代の勉強だってそうです。
もっと頑張っていれば、という気持ちが今もないわけではありませんが、当時の私は今ほど「勉強の意味」や「積み重ねの効果」を実感できていませんでした。
今の私の視点で過去の自分を評価して、「あの時やっておけばよかった」と言うのは、些か公平さに欠けるというか、そりゃそうだよねって話な気がしないでもありません。
で、なんで、そんなことを考えるようになったのかというと、子育てがきっかけでした。
「今の自分」が子育てに携わられて良かった
子どもって本当にかわいいですね。マジ天使。
結婚する前、子どもが生まれる前までは、ここまで感情が動くものだとは正直思っていませんでした。
毎日の成長を見るだけで嬉しいし、何気なく優しい言葉をかけられるだけで、とんでもなく癒されます。
最近は「推し活」なんて言葉が流行っていますが、私の推しは完全に子どもです。一生推せます。
一方で、「もっと早くこの幸せを知っていればなぁ」と思う瞬間がありました。
単純に一緒にいられる時間をもっと確保できたかもしれないし、体力的にも今よりは一緒に元気に遊べたはずです。
これは本当に私個人でそう感じたというだけの話なのですが、若いお父さんたちを見ていると、少し羨ましくなることもありました。
けれども、今になって思うのは、今の私でなければ子育てをできなかったんじゃないかということです。
恥ずかしい話ですが、私はかなり短気な方で、若い頃は本当に酷かった。
他人の背景を想像する余裕はありませんでしたし、自分が正しいと我を通そうとすることもしばしば。結果的に衝突ばかり生んでいました。
短期は損気とよく言ったもので、本当そうだなぁと実感します。
あれから年を取り、多少はマシになりました。
もちろん、年を取ったからといって性格が別人のように変わるわけではありません。三つ子の魂百までと言われる通り、今でもイラっとすること普通にあります。
それでも、過去の失敗や有難い出会いのおかげで、「あ、今は冷静じゃない」とブレーキをかけられる場面は確実に増えました。
一呼吸置くとか、少し距離を取るとか、そういう対処の仕方を知れただけでも、若い頃の私より随分マシかなと。
子育てをしていると、この差を強く感じます。
正直に言えば、もし自分が20代の頃に親になっていたら、最低限の責任すら果たせていたのか自信がありません。
我が子であっても、別人格を持つ他人です。他者とのコミュニケーションの難しさは、親子であっても基本的には変わらないでしょう。
もちろん、問答無用でダメと言わなければならない場面はあります。分別がつかず、わがままだったり、失礼な振る舞いだったり、そう言う時は叱る必要があります。
この辺の線引きだって、今でも迷うことがあるので、昔の私にできたかというと、かなり怪しいです。
結局、多少なりとも成長した私だからこそ、子どもが齎してくれる幸せに気づくことができたんじゃないかなぁと思います。
「今」が自分にとってのタイミングだった
子育てを通じて感じたことを振り返ることで、「もっと早ければ、、、」という妄想に対して、少し違う見方ができるようになりました。
結局のところ、今できていること、感じられることは、「今の自分」だからであって、過去の自分が同じことをできたかというと、わかりません。多分できなかったんじゃないかな。
能力の問題かもしれないし、性格の問題かもしれないし、情報や環境の問題かもしれません。
いずれにしても、今と昔で条件がまるで違う以上は、単純比較して後悔したり、妄想したりしても大した意味はないんですよね。「たられば」が生み出すものって、ほとんど何もないような気がします。
もちろん、過去できなかったことを開き直ろうというわけではありません。反省すべきところは山ほどあります。
けれども、色々な経験や知見を積んだ「今の自分」だからこそ、その意味や重要性が理解でき、真摯に向き合えるんじゃないかと。
始めるのが遅かったなんてことはなくて、今こそ自分が始めるタイミングだったんじゃないかと。
そんな風に思う次第です。
以上、最後までありがとうございます。
