知らないことを知るというのは非常に難しいことです。
まず、知らないことは当人にとっては存在していないに等しく、「知らない」という状態すらも知りません。
認識できていないことを自発的に知るという行動なんかできるわけもなく、「知らないことがあるのかも」という何かしらのきっかけが必要になります。
そして、きっかけ以上に重要なことが知るということを「自分事」として考えられるかです。
これまで無くてもなんとかなった。周囲はなくてもなんとかなっている。という基準ではなく、これからの自分にとってのメリットという視点がないと「知る」に対して腰が重くなりがちです。「知る」にも労力伴いますから。
ということで、ざっくりまとめると次の内容です。
- 私はコンビニに整腸剤が売っていることを知らなかった
- なんとかなるだろうでやり過ごしてきた結果、知る機会を失っていた
- 今回は同行者のおかげで偶然知る機会を得た
- この経験から知らないことを知る為には3つのステップが必要だなと感じた
- 知らないことを知る為に最も重要なことは「自分事として考える」ことだと思う
- この「自分事として考える」は行動全般に真剣味を添加する
- 知識が増えると次の知識のきっかけになってくれるので超便利
コンビニに整腸剤があるなんて知らなかった
先日のこと、コンビニで整腸剤が売っているという驚愕の事実を知りました。
普段は飲食物を購入する程度でその他の陳列棚を覗くことすらしていなかったので、コンビニにある商品を把握していないという自覚はあったのですが、まさか整腸剤まで販売されているとは、、、
これ、知っている人やコンビニ商品に興味がある人からすると「そんなことも知らなかったの?」という案件だと思います。見ればわかる話ですから。
多分、私もコンビニを訪れた際に何度かは整腸剤が視界には入っていたと思います。しかし、購入したい商品以外に興味を持っていない私は認識することができていませんでした。意識することで初めて知ることができる一例なのかと思います。
で、なぜコンビニに整腸剤があることを知ったかというと、出張中に同行者から教えていただいたからでした。
その日は同行者と一緒に関係者を訪問予定でしたが、私少々胃もたれを起こしていました。
前日に同行者を含めた関係者一同と親睦会を開いていて、調子に乗って暴飲暴食をしてしまったのが原因と思われます。
普段は胃薬だなんだと常備しているのですが、その日に限って忘れるという失態が重なるし、早朝移動で薬局も開店していません。やっちまった、、、と思いつつも、そこまでひどいものではないので、まーなんとかなるかと考えていました。
で、同行者の人と合流し目的地に向かう道中、「調子に乗って食べすぎましたよー」「いやー私もですよー」なんて会話に。
「いつもは胃薬を常備してるんですけどねー。こんな時に限って忘れてしまってー」と私が話していると、「大丈夫ですよ。目的地の手前にちょうどコンビニがあるので整腸剤でも買って行きましょう!!」という提案が。
なんですと!?コンビニって整腸剤売ってるの!?
え?知らなかったの!?と驚かれつつも無事コンビニで整腸剤を購入できました。
知らないことを知るにはメリットを自分事として考える必要がある
今回、コンビニで整腸剤を売っていることを初めて知ったわけですが、同行者のおかげであって自らの行動で得たものではありません。単独行動だったらいまだに知らない可能性まであります。
そんなわけで、この経験から改めて「知らないことを知る」には次の3つのステップが必要なんだと確認できました。
- 「知らない状態」を知るきっかけがいる
- さらに「知る」メリットを自分事として考える必要がある
- 適切な情報源から知識を得る
胃もたれという困り事があり、私の知る範疇で解決策がないというきっかけはあった。スマホで検索という手っ取り早そうな打開策は簡単に思いついた。あるいは同行者に訊くことができた。解決できれば体調不安から解放されるメリットはあった。
でも、まーなんとかなるかと考えて、知る為の行動を取っていません。生存者バイアス的な思考とでも言えばいいんでしょうか。
これって、知るメリットを自分事として考えていないからだと思うんです。今までの経験や周囲の情報から特に問題ないだろうという視点だけで、「これからの自分」という視点が抜け落ちている感じ。
新しく知るという行為はコストがかかると言えばかかります。短期的に見れば、これまで問題ないことをわざわざ調べるメリットって何?と考えてしまうことは仕方ないっちゃ仕方ないです。
が、これからの自分という視点では、万が一の際の入手先は多い方がいいはずです。少なくとも今回の私はめんどくささが勝り、知るメリットを自分事として考えるのを放棄したことになります。
変な話ですが、もっと切迫した状況であれば「これからの自分」に勝手に意識が向くので、知るメリットを大切にしていたと思います。自分事として考えられるかは重要です。
適切な情報源というのも大切です。
今回のケースで幸いだったのは同行者の方がコンビニで整腸剤の購入経験があったという点です。
後から調べると整腸剤を置いていないコンビニもあるようです。もしも同行者の情報源が又聞きなどで、しかも一軒目のコンビニになかった場合、やっぱりコンビニにはないんだなぁという知識になっていたかもしれません。
同行者に確かな経験があるおかげで、仮に一軒目になかったとしても「もしかしたら置いていないコンビニもある?」という感じで適切な知識に書き換えできたと思います。
今回は大した問題ではないので、多少情報に誤りがあったところで支障はありませんが、知りたい情報の重要性によっては情報源の信頼度のチェック作業は凄く大事です。
そして、3つの中でも特に重要なことが「自分事として考える」ことです。
行動を起こすにしても、情報の真偽を確かめるにしても、これからの自分の為と考えれば真剣味が増します。
ちなみに、これは知らないことを知る為だけではなく、新しいことを実行すること全般に言えることです。何にせよ時間や労力といったコストは発生するので、他人事として捉えればただの面倒事です。
自分事として考えることで、初めて得られるメリットについて真剣に考えることができるのかなと思います。
知らないことを知るというのは超便利
知らないことを知るということは、次の知識の呼び水だったり、課題解決の糸口だったり、新しい興味を引き出してくれたりするかもしれません。
此度の一件で、私はコンビニの陳列棚を色々巡ってみるといいかもと知りました。本当にいろんな商品が並んでいるんですね。ペットフードがあったり、家電のクリーナーとかあったり、コンビニの名は伊達じゃねぇ、、、ってことを知りました。
今後緊急で何か必要になった時は、とりあえずコンビニを覗いてみます。あっさり解決してくれるかも。
これは知識全般に言えることですし、上っ面だけでも十分です。きっかけさえあれば深い情報は調べることできますから。
新たな知識にしろ、解決策にしろゼロから答えを見つけることはとても難儀します。足掛かり無しに壁を登るのは超難しい。
きっかけや足掛かりはいくらあっても困りません。知らないことを知る機会はじゃんじゃん作っていければと思います。
以上、最後までありがとうございます。