今時はわかりませんが、私が若い頃は先輩や上司に「アンテナを張って情報に対する感度を高めろ」的なことをよく言われていました。
様々なジャンルの情報を様々な角度から集める。偏った情報に頼るな。ってことなんだろうなと解釈して、なんだかんだ長らく素直に聞いていることの一つです。
いや、そのはずだったのですが、この頃どうも怠惰になってきたなと反省する出来事がありました。
晩飯選びに躓きました。
ということで、ざっくりまとめると次の内容です。
- アンテナを張ることは情報を取り扱う上で多面的な視点を持つことができるし、複数の情報源から総合的に判断することができるので大事だ
- 情報源も情報の一部であって、アンテナを張っていないと手がかりすらなくなってしまうことがある
- ところが、ネット環境の進化に甘えて簡単に情報が手に入ると勘違いするようになっていた
- 結果、晩飯選びに躓いた
- どんなにネット環境が進化しても情報の取り扱い方が変わるわけではなく、情報を色々な視点で検証すること、複数の情報源から情報を取得することは重要だ
- むしろネットやAIなどは自らが情報源となる必要があり、アンテナを張ることは変わらず重要だ
アンテナ張ってないと思い通りに情報が入ってこなかった日々
「アンテナを張って情報感度を高めろ」と言われた時に、「いろんなジャンルの情報をいろんな角度から集めろ」という解釈を私がしたのは冒頭の通り。主に次の3つの理由があるからでした。
- 多面的に情報を扱う方が精度は高くなると思ったから
- どの情報源が正確なのか断定はできないから
- そもそも情報への手がかりも集めなければいけなかったから
情報を一面的に扱わない方がいい。特定の情報源を正しいと鵜呑みにしてはいけない。この辺りは間違いないと言ってもいいと思います。
意図的かそうでないかに関わらず、情報に誤りや不足がある可能性はあります。複数の情報から総合的に判断することは大切です。
そして、当時大変だったのが情報源を探すことでした。
調べたい情報があったとしても、どこで調べればいいかわからないってこと山ほどありました。あったとしても断片的とか、技術的な情報だと英語ソースしかないとか、いくつも調べ物を行うことで初めてお目当ての情報に辿り着ける。
これは仕事に限った話ではなく出先の飲食店や趣味の情報などちょっとしたことでも同じで、情報の手がかりがないと調べようがなかったです。周囲との何気ない会話からヒントを得たり、有益そうな情報源をストックしたりしておくことは大事な作業の一環でした。
なので、常にアンテナを張って些細な情報でも蓄積していくということが大切でした。いつか必要になる情報かもしれないし、情報の手がかりになる情報かもしれない。そんな感覚です。
もちろん既にインターネットは普及していました。
でも、今ほど簡単にどこでもアクセスできたわけではないし、情報量には偏りがあったように思います。インターネットの進化やユーザー数の増加はめまぐるしく、現在と比較すればそれはそうって話です。
それと、当時はまだアングラなイメージがあって見慣れないサイトだったら即閉じるって話はよくありました。
知識がない。慣れていない。というのが一番の理由ですが、フォントやデザインはまだまだ洗練されていないこともあってか、凄く怪しげな情報源に見えていたと思います。
ネットリテラシーなんて無かったですが、ある意味昔の方が危機感持ってインターネットと向き合っていた気がする。
というわけで、先輩や上司からアンテナを張って情報感度を高めろというアドバイスは身をもって実感していたので、常日頃から見聞きすることは割と自然に覚えるようになりました。どこで有益な情報や情報源が見つかるかわからないですから。
アンテナ張ってなくても情報入ってくるんじゃね?という甘え
ところが、この頃アンテナ張るのを忘れている気がしてならない。
凄まじくちっさい話で恐縮ですが、出張先のご飯選びで先日失敗しました。大失敗ってことではないですが残念な気持ちになったことは間違いありません。
翌日の仕事が朝早かったので出張先には前乗りしていました。せっかくなので地元の旬な食材をと思いスマホで検索、口コミで好評なお店で夕食を済ませました。
翌日取引先に地元のご飯はおいしいですねーと世間話をしていると、「あーそこは観光客向けだね。別のお店はお手頃価格で裏メニューがあったりしておすすめだよ。前乗り知ってたら教えられたのに。」というなんとも言えない情報提供を頂戴したわけです。
もちろん夕食を取ったお店もおいしかった。でも、アンテナを張っていたら違った世界線があったのではないかというのも正直な気持ちなわけです。
ちなみに取引先とは付き合いも長くフランクに情報を聞ける仲だったので余計にそう思ったのかもしれません。
で、なぜこういうことが起きるのか理由は明らかで、ネット環境の超絶進化に甘えまくっているからです。
ものすごく簡単にどこでも色々と情報を調べられます。評判の居酒屋とか趣味情報だけじゃなく、技術的な話や仕事で必要な情報だってモリモリ入手可能です。
ネットや情報環境の進化は凄まじく、コンテンツやプラットフォームはどんどん充実していくし、こちらの意図に沿った回答が出てくるし、情報の精度は上がっているし、場所は問わないし、通信速度は速いし、AIをオンライン上で活用できてアプリとか作れちゃうし、もう訳がわからないくらい進歩しています。
もちろん業界ごとの市況や特殊な情報などネットで調べるには難しいことはありますが、困った時やわからない時はネットで調べればなんとかなることが多くなりました。こんなんアンテナ張ってなくても大丈夫じゃないかと勘違いしても仕方ないなーと思う自分がいたりします。
でもですよ。いくら精度や情報量が進化したからといって正確性や網羅性が絶対だとは限らないということは変わらず間違いないわけです。
ガセネタがあるかもしれないし、どちらが正しいと白黒付けられない事象はあるでしょう。個人的な好みでわかれる話だってあるはずです。
少なくとも今現在ネットやAIでパッと出てくる情報は正確さだけでなく、多数派の意見や学習内容に反映されている部分はあります。
多少あやふやな内容であってもそれを支持する声が大きければ検索結果やフィードなどに影響を与えるでしょうし、AIがインターネットの世界からも学習している以上その影響はあるでしょう。
結局、アンテナを張らずに一面的な情報の捉え方をしてはいけないという原則はどれだけ便利になっても変わりませんし、検証の為に情報源を多く持つことが大事なのも一緒です。そんな当たり前のことを忘れかけていたんですね。私、、、
便利が人を怠惰にするとはよく言ったものです。
最新技術を使う為にもアンテナと情報は大事
少し話題が逸れますが、情報や知識のストックというのはあって損することはありません。
仮にそれが上っ面なものであったとしても、そのこと自体を自覚していれば武器になります。「そんなのあったような」という情報が足掛かりとなって、詳細な情報や新たな知識を調べることができるからです。
アンテナを張って集まる情報が些細なものだとしても馬鹿にはできないかもしれないです。
ネットで調べるには自分でキーワードを提示する必要があります。
キーワードとはネットにとっての情報源みたいなもので、情報源がなければ調べようがないのは人もネットも同じようなもんです。自分が情報源であるというのはネットを効率的に活用する為の鍵になり得るということです。
この時、キーワードが的確であるほど欲しい情報の入手が容易になるのは間違いないですが、些細な情報や知識だとしてもネット検索の起点にはなりますし、起点は多いに越したことはありません。
アンテナを張って情報を収集しておくことで足掛かりをたくさん作ることができるわけです。
ChatGPTにとっても自分が最初の情報源です。
香川県善通寺市の職員の方がChatGPTを用いて固定資産税の課税基準となる土地の用途を衛生画像から判別するソフトを自作で開発したというニュースが先日ありました。職員の方もすげーし、AIもすげーなと驚くばかりです。
ここまでのことを素人ができるのかは私にはわかりませんが、日報の自動化、ネットやデータベースから特定情報の取得、といった作業であればAIを使って割と簡単に開発可能なのではないかと思います。
しかし、ChatGPTに「日報作って」というだけではまともな返答はありません。
少なくとも今のところ、的確なプロンプトの知識はもちろんタスクの細分化や成果の詳細などは必要で、自らがAIの為の情報源にならなければいけません。
で、AIを活用する為の知識だって手がかり皆無で学ぶのは難しいわけで、アンテナ張って集めた情報がきっかけになってくれるかもしれません。わかんないけど。
なんにしても情報や知識は多いに越したことないというのは、技術が進化しても変わらないことなんでないかと思います。
大したものでなくてもどこに発展するかはわからない。アンテナと情報は大事にするのは悪いことではないはずです。
たかが晩飯選びの反省だけでネット技術やAIまで話を飛躍させるのは脈絡なさすぎですが、まぁ今後の自分の晩飯の為にも少しはアンテナ張る癖を取り戻し給えと願うところです。
以上、最後までありがとうございます。