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雑記

「ごちそうさま」を言わない理由を調べていたら最適解の一つに気づいたかもしれない

大分昔の話になりますが、割とよく通っていた居酒屋で振り返りもせず、「ごちそうさん」とそのまま店を後にするオッチャンがいました。

言い方はぶっきらぼうだし大将に目配せすらしない態度に、言っていることとやっていることがチグハグだなーと不思議だったな。

ところで、外食の際に「ごちそうさま」って言うか言わないかっていうのが議論になることがあるらしいですね。最近知りました。

会計の際に無条件で「ごちそうさま」と言うので、賛否についても、他の人は言うのかも、気にしたことがなかったので結構新鮮な感じです。

正直言うも言わぬも個人の自由とは思います。ただ、言わない派の見解は知りたいなーと思ったので色々調べてみました。

「ごちそうさま」を言わないという選択

「外食 ごちそうさま 言わない」で検索すると知恵袋とか小町とか沢山情報が出てきました。マジですげー量。

傾向としては「ごちそうさま」を言う派が多いみたいですが、言わない派の意見もすぐ発見できるくらいには豊富。

「ごちそうさま」を言う派の理由は大体皆同じで、ほぼ次の2つにまとめられます。

  • お店に対する感謝
  • 命に対する感謝

対して、「ごちそうさま」を言わない派の理由は割とさまざまでしたが、その中でも特に多いかなと感じたのは下記4つです。

  • お金を払っているので言う必要はない
  • 命に感謝は自己満、偽善的だから嫌
  • 店員さんが挨拶を返さなければならないので逆に迷惑
  • 恥ずかしい

「ごちそうさま」を言うかはそれぞれの自由とは思うものの私個人は言う派。言わない派の理由に共感とはならないけれど、そういう考え方もあるんだと新しい角度からものを見ることができました。違う意見から学べることたくさんあります。

関連記事:冷静に考えると「違う意見」にはありがたみが沢山詰まっている

「お金を払っているので〜」「命に感謝は〜」は言わんとすることわかります。

食事に対する対価を払ったのだからイーブンだろ、毎度命について真剣に考えて感謝しているのか、ってことなんだと思います。

私としては、「いらっしゃい」とか「ありがとう」を言ってもらったり、食事以外のサービスもしてもらったりなので、謝意として「ごちそうさま」(「いただきます」も)言いたいなと思います。もちろん売上や評判など自分たちの為にやっている側面はあるので賛否ありますね。

んで、毎回真剣に命に感謝しているのかと言われれば正直深くは考えていません。ただ、命を食べて生きているというのは頭の片隅に置いておきたいなと思います。自己満ですね。

「店員さんが挨拶を〜」は盲点でした。2つ目までの理由は見る前からありそうだなと思っていたのですが、この視点は頭になかった。

コミュニケーションの基礎中の基礎。言われた相手がどう思うかというすげー大事な視点ですね。

私自身飲食店のバイト経験があります。正直忙しい時に言われた時でも迷惑とか嫌とか思ったことはないです。

しかし、自分がそうだから他の人も同じことなんてなくて、忙しい時に勘弁してくれと思う人がいるかもしれないし、ちゃんと返事ができなかったと気に病む人がいるかもしれません。

先ほど書いた通り「ごちそうさま」を言うのは自己満です。にも関わらず言われる側の気持ちを考えていないのはガチのマジでクソみたいな自己満になっちゃう、、、反省。

「はずかしい」というのは得手不得手、個性という話ですから納得です。

しかも、「ごちそうさま」は言う人も言わない人もいますから、状況によっては目立ってしまう可能性があります。恥ずかしがり屋の人にとっては余計にハードル高そうですね。

ただ、はずかしいことが理由ということは、心の中では「ごちそうさま」を言いたいけれど、、、ってことかと思います。

ならば、会計の声掛けを「ごちそうさま」にしてみたり、食べ終わったら周囲に聞こえないレベルで「ごちそうさま」と言ってみたり、といった方法は如何ですかというのが私の提案。

なぜなら、「ごちそうさま」は自己満だし、店員さんに聞こえていないことなんていくらでもある。伝わりやすいかではなく自分が言いやすいかで方法考えればいいのかなと思う次第です。

「ごちそうさま」の最適解の一つ

で、思ったんですよ。

あれ?ぶっきらぼうに「ごちそうさん」と帰っていくオッチャン。あれ最適解なんじゃね?と。

「ごちそうさま」は自己満でOK。

相手が気にしない言い方を考えてみよう。

自分が言いたいからという理由だけで構わない。

言わない派の理由に対して自分なりにあれこれ考えたことを突き詰めると、あのオッチャンの姿は一つの理想形なんじゃね?と。

チグハグな人だと私が決めつけてしまっていたオッチャンは、実のところ酸いも甘いも嚙み分けた大人であり、だからこその立ち振る舞いだったのではないかと。そう思わずにはいられないのです。

真実はわかりません。多分違います。

でも、あのオッチャンのように誰の為でもない自分の為に「ごちそうさん」を去り際に残していきたい。

以上、最後までありがとうございます。

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